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ヤマトノミカタ#1「コスモスと大和三山」
「コスモスと大和三山」
私がテレビ撮影の世界で働き始めたのは40年前。大和路をテーマにした紀行番組「真珠の小箱」で撮影を学んだ。当時は放送30年以上の長寿番組。大和路を撮らせたら誰にも負けないと自負の塊のような先輩カメラマンたちに囲まれ、私の修行時代が始まった。
「大和路はこう撮るべきだ」そのこだわりはまるで哲学のようで、20歳の私にとって大和路はタイムスリップしたかのような空間だった。歴史を学び、そこで暮らす人々の日常を知り、それを映像として切り取っていく。
ここでは奈良時代がまるで数年前の出来事のように語られ、先祖代々この地で暮らす住民はこの土地に誇りを持って生きている。
そんじょそこらの田舎ではない。歴史を知らなければ大和路を撮影することは出来ないと悟り、片っ端から歴史書を読んだ。そんな大和路の景観を語る時、先輩カメラマンの誰もが最もこだわっていたのが大和三山だった。「ここから見る大和三山は奈良時代と繋がっている」「夜明けの大和三山を撮るにはこの場所しかない」
各々が自分だけのとっておき大和三山撮影ポイントを持っていた。誰も撮ったことのない大和三山を狙って、龍王山や葛城山の道なき道を登り、遭難しかけたこともあった。それほどまでに大和路を撮影するカメラマンにとって大和三山は避けて通ることの出来ない被写体だったのだ。
ある先輩カメラマンが教えてくれた「大和三山にはそれぞれ性別がある。それが分かる感性がなければダメだ」大和三山は恋の歌として万葉集でも詠まれている。撮影でもその感覚が必要だと先輩カメラマンは力説する。
当時は理解出来なかったが、確かに山桜が遠目にポツポツと咲いている畝傍山はいかにも女性のかわいさがある。
とにかく、大和三山は奥が見えないほどに奥深い大和の景観の代表格なのだ。
しかし、現在はどうだろう。テレビ番組やネットでも大和三山が主役になることはあまりない。大和三山にこだわった写真を見かけることは少なくなった。
世界遺産登録が期待されている飛鳥・藤原の宮都。メディアでも明日香村や藤原宮跡が話題になっている。
カメラマンの私にとって最も重要なのは大和三山に囲まれていること。藤原宮跡に立って周りを見渡せば、大和三山だけではなく二上山や三輪山も美しい。この地が特別なのはこの景観があるからこそ。
大和三山があっての藤原宮跡であり、遺跡の重要性ばかりが語られていることに少し違和感がある。
藤原宮跡で人気のコスモスを撮る際にも、常に意識するのは借景の大和三山。映像で伝えたいのはコスモスではなく大和三山の風情と言っても過言ではない。
先輩カメラマンが言った「お前だけの大和三山が撮れるようになれば一人前」その価値観は遠い昔なのだろうか。
「香具山は 畝傍(うねび)を惜(を)しと 耳(みみ)梨(なし)と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」 中大兄皇子
※藤原宮跡のコスモス
https://youtu.be/GaEtL8pFRk4?feature=shared
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