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ヤマトノミカタ#77「神鹿の素顔」
飛火野で夜明けを迎える。
以前は飛火野から1日が始まることが私の日常だった。
でも、最後に飛火野を撮ったのは、おん祭の夜だった、もう1ヶ月以上も経っている。
飛火野にいるだけで心が浄化され、気持ちが穏やかになり、御蓋山から昇る朝陽が体のがん細胞を焼き払ってくれる。新しい命をいただける場所が春日大社の飛火野だった。
では、どうして足が遠のいたのか。
それは、朝の飛火野に行けば、とても悲しい気持ちになるからだ。
以前は夜明け前の飛火野で見かける人と言えは、散歩をしている近所の人くらいだった。
今は、必ずと言ってよいほどアマチュアカメラマンがいる。
そして、その中の何人かは、鹿を餌付けして写真を撮っている。
飛火野に鹿の姿がない時は、餌で釣って鹿を飛火野に連れてくる、そんなアマチュアカメラマンもいる。
写真のためだけに、鹿を望む場所に連れて来て、餌付けして鹿の写真を撮る。
以前は飛火野のナンキンハゼが紅葉した時に多くのアマチュアカメラマンが押し寄せたが、今は真冬でもアマチュアカメラマンの姿が途切れることはない。
そんなアマチュアカメラマンにとって鹿はただの被写体でしかない。
でも、私にとっては神聖な神様の使いである。
餌付けしているのを見ていると、言葉では表現出来ないような悲しい気持ちになる。
鹿に鹿せんべいを与えることはルール違反ではない。
私は餌付けしているカメラマンの行動を非難しているのではない。自由にやればいい。
奈良公園周辺では、写真目的であっても、鹿に鹿せんべいを与えることは全く問題はない。それは当たり前の風景になっている。
そもそも、飛火野では観光目的で鹿寄せが行われていて、観光客の人気のイベントになっている。公にも鹿の餌付けが昔から続いているのだ。
加えて、アマチュアカメラマンが鹿を餌付けして、思い描く写真を撮ろうとすることも理解出来る。
テレビ番組のロケで、私が鹿せんべいを与えて、鹿のいる風景を撮ったこともある。
私が伝えたいのは、鹿せんべいと鹿の行動についてだ。
今回の記事で紹介する真冬の飛火野で撮影した鹿の行動を見て欲しい。
鹿は飛び跳ねて遊んでいる。その表情から間違いなく遊んでいる。
そんな鹿の自然な仕草や動きを見て欲しい。
広い飛火野で鹿が自由に走り回っている。人の子供が広場ではしゃいでいる姿と重なって見える。
どうして、このような鹿の自然な行動を撮影出来たかといえば、その日は鹿を餌付けするカメラマンが一人もいなかったからだ。
だから、鹿は自然な姿をカメラの前で見せてくれた。
もし、一人でも鹿せんべいを出して鹿に与えたら、その鹿の群れは、鹿せんべいを求めて行動するようになり、走り回って遊ぶような姿は見せない。
すべての鹿が鹿せんべい下さいモードになってしまう。
その結果、写真ではなく動画を撮影している私にとって、撮るべき鹿ではなくなってしまうのだ。
鹿せんべいは人と鹿の距離を縮めることが出来る。観光客にとって魅力的であることは間違いなく、それが奈良の観光に大いに貢献しているのは事実だ。
鹿が鹿せんべいをもらう時に見せるお辞儀の仕草は可愛くも見える。
でも、よく考えて欲しい。鹿せんべいがあることで、鹿本来の仕草を見る機会を失っている。鹿の行動はとても可愛い。少し離れて鹿を見ていると、様々な表情でとても癒される。
鹿せんべいのメリットとデメリットを知って欲しい。
私は鹿が自然に見せる表情や仕草をもっと多くに人に知ってもらいたい。
映像ではなく、実際に奈良へ来てもらって、そんな鹿を見てもらいたい。
そうすれば、奈良公園の鹿がなぜ神鹿と呼ばれているのか、歴史からの知識だけではなく、この奈良で鹿の真の姿を見て感じて欲しい。
追記
鹿せんべいに対する私からの提言。
鹿せんべいを与えても良い区域を限定する。
鹿の発情期で問題となっている鹿と人とのトラブルを避けるために、限定された期間での鹿せんべいの販売を禁止する。
*白い飛火野2024
https://youtu.be/doHVDS_OImA?feature=shared
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