ヤマトノミカタ#50「瑠璃燈籠、世界にひとつだけの色」
パリ市立近代美術館でレオナール・フジタの「寝室の裸婦キキ」を撮影した時に感じた。
肌色を表現している乳白色は、フジタの作品の中でしか見たことがない。
世界中を探しても、この色はここにしかない。
フジタはこの乳白色の技法について全く語らなかったが、現代の研究で日本画に使われている「胡粉(ごふん)」とベビーパウダーではないかと言われている。
フジタがこの世を去り、この乳白色を生み出す技法は永遠の謎になった。
絵画は無限の色彩による芸術。その世界でフジタの乳白色は唯一の色となった。
世の中に存在する色は一体何色あるのだろうか。
人間が作り出した色であっても、フジタの乳白色のようにそこでしか見られない色がある。
私はそんな特別な色にカメラマンとしてとても興味がある。
私が世界でも最も清浄で美しい世界だと心から愛している春日大社にもそんな色がある。
中元万燈籠などの行事で見ることが出来る瑠璃燈籠。
瑠璃燈籠は藤原頼通が寄進したと伝わっていて、鎌倉時代に復元された1基が今も残り、現代において数基が復元されている。
ガラス玉によって瑠璃色に煌めき、他では見たことのない、世界にひとつだけの色が春日大社にはある。
この瑠璃燈籠の色を言葉で表現するのは無理だと諦めるほど、美しい。
一度だけ撮影を許されたが、私の安価なカメラでは同じ色を再現するのは到底不可能。
微妙な中間色でありながら、ビビットで品がいい。インパクトと奥ゆかしさが共存する色、色で心がとろけてしまう。
瑠璃燈籠を見るだけでも、春日大社へ旅する理由になるだろう。ここにしかない色なのだから。
人は何万色の色を見分ける事が出来るのだろうか?
何十万色、何百万色、それとも無限大?
民族や暮らす場所によっても色を感じる能力に差があると学者は言った。
私が助手の時代、カメラマンになる修行として、色や明るさを感じる能力を高める訓練を受けた。
普通の人よりも、色の違いを感じる能力をアップさせる。
簡単に言えば、普通の人が100色を見分けられたとしたら、1000色を見分ける目を持つための訓練。
窓のない暗い部屋に2台の全く同じテレビモニターがある。
その2台には同じ画像が映っている。当然、画像には違いがない。
でも、その2台のモニターを6時間見続ける、12時間見続ける。1日で終わらず、3日見続ける、1週間見続ける。その結果、どうなるのか?
最初は同じ画像に見えたはずなのに、最初に色の差に気が付く。
その画像は女性が赤いバラを持った色調整用の写真なのだが、例えば、片方のモニターの女性の肌色が少し黄色がかっている、片方のモニターのバラの色が少しだけ黒ずんでいる、そのように色の見え方が変わっていく。
1週間も見続ければ色が微妙に違うことに確信を持てるようになる。
そんな訓練を経て、普通の人よりも色を識別出来る能力を向上させ、それがカメラマンの武器になる。
おそらく、私は今でも普通の人よりも色彩に対するセンサーが敏感で、色から受ける感動が人よりも大きいのかも知れない。
そんな私から見て、春日大社の瑠璃燈籠はこの大和路で最も心惹かれる、世界でここにしかない特別な色なのだ。
(4kカメラで再撮したい)
*「中元万燈籠、春日大社」