ヤマトノミカタ#43「古都の雪」
古都・奈良に降る雪。
奈良公園周辺にこれほどまでに積雪があるのは数年に一度。
滅多に見られる風景ではない。
雪が積もれば電車やバスが止まることもあるので、雪景色を撮影するには雪が降り出す前からスタンバイする必要がある。
この日は朝から雪の予報だった。前夜に奈良へ移動し、奈良公園近くのホテルに泊まって空模様をうかがう。
これまでに積雪のあった日の天気図を調べてみると共通点がある。
近畿地方が寒波に包まれ、太平洋側を南岸低気圧が通過する。
地上の気温は3度以下。
この3つの条件が揃った時、奈良県北部にまとまった降雪がある。
この日は夜明け前にホテルを出発し、東大寺二月堂で雪を待った。
街の音が聞こえなくなり、静寂に包まれた東大寺の空から雪が降り出した。
雪には吸音効果があるのだろうか、音が消えると雪が現れる。
ではなぜ、雪の二月堂を狙ったのか。
奈良ではお水取りが終わるまで春は来ないと言われている。
どんなに寒い冬であってもお水取りが終わると春が訪れる。
奈良の人は冬と春の節目をお水取りで語るのだ。
お水取りの練行衆である東大寺上司永照師の言葉を思い出す。
「永遠に春が来ないのではないかと思うほど、二月堂の冬は寒い」
質素な衣に冷たい床。行に使う水が氷ることもあるとか。
私が若い頃に撮影した時のこと。
テレビクルーが防寒具を来て練行衆を二月堂内陣で撮影するのは失礼ではないかと誰かが言い出し、薄い作務衣に着替えたことがあった。
でも、3日ともたず防寒着姿に。身をもって行の厳しさを体感した。
悔過の法要であるお水取りは、最も寒い時期に二月堂で行われている。
悔過ということから、寒いことに意味がある。
私は、冬の厳しさとお水取りとの関係を雪の二月堂で表現したかった。
本格的に雪が降り始め撮影に集中すると、いつの間にか散歩する人の姿が消えた。
不思議なことに、雪が降り始めてからは東大寺での撮影中に人を見かけることは一度もなかった。
私は撮影しながら感じていた、これほどの雪、無風、無人、動いているのは雪と鹿と私だけ。
生きている間、こんな経験は2度とないだろう。これが最初で最後、感謝して撮影しなければならない。
雪が降り出してから頭の中では音楽が流れていた。用意していた曲ではない。
曲名はベートーヴェン交響曲第九番第三楽章。
私はこの曲を口ずさみながら撮影を続ける。
頭の中の曲に合わせて雪が降っているようだった。
貴重な雪、降り始めから降り終わりまで、誰にも邪魔されることなく雪景色を撮影した。
古都奈良に音もなく降る雪は、まるで時間が降り積もるかのようだった。
*指揮:佐渡裕、ベートーヴェン交響曲第九番第三楽章、東大寺、春日大社
https://youtu.be/IYVzbIQOZKM