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ヤマトノミカタ#12「滅びの美」

40年前、私が撮影を学んだのは大和路をテーマにしたテレビ番組だった。
その番組の担当カメラマンが常に意識していたのは写真家・入江泰吉。
テレビカメラマンは裏方ではあるがプライドが高く、先輩カメラマン曰く「大和路で入江泰吉には負けてられへん」とよく聞かされた。
入江先生が番組のゲストでご出演されたこともあったが、個人的な親交があった訳ではない。
おそらく、入江先生はテレビなど全く眼中になかったと思う。
こちらからの一方的なリスペクトだったに違いない。
新聞にカラー写真が掲載されることが珍しかった時代、入江先生は若草山焼きを薬師寺の2塔越しに撮影された。塔のシルエットと燃え盛る炎のコントラストはまさに芸術と呼ぶべき写真だった。その作品がカラーで毎日新聞の朝刊一面に掲載された。先輩カメラマンはロケ車内でその写真を見て「負けた」と小さくつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。そのカメラポジションは今では定番となり、若草山焼きの時は、アマチュアカメラマンの場所取りで混乱し社会問題にまでなった。
そんな時代に入江先生の忘れられない思い出がある。
平城宮跡で見事な鱗雲が夕陽に照らされ美しく染まった。私たちテレビクルーは千載一遇のチャンスとばかりに撮影していると、いつの間にか、隣では入江先生がシャッターを切られている。さすがにどちらも最高のシャッターチャンスは逃さない。
後日、入江先生が撮影された写真は観光ポスターになり、駅のホームなど様々な場所に貼り出される。私の記憶ではNTTのテレホンカードになっていた。
一方、テレビでは番組のエンディングで15秒だけ放送された。再放送はなく、たった1回の放送でライブラリー行きとなった。
テレビと写真、その違いをどう見るのか。私は写真を羨ましいとは思わず、テレビってなんてカッコいいのだろうとしびれたのだ。滅多に撮れない最高の夕焼け空をたった1度、15秒だけ電波に乗せて、空へと消し去った。
オンエアー(放送)とはこういう事なのか。それはテレビの美学に違いない。たった1度の放送のために、どれだけの時間と労力を使うのか。写真よりテレビの潔さが私の性に合っていた。人の心の中に残る映像を目指す。それがテレビカメラマンの究極のゴールだと悟った。
私は撮影助手の時代に入江泰吉先生の影響を受け、カメラマンになってからは入江先生のお弟子さんである写真家・矢野建彦先生の作品を真似ることがあった。
矢野先生から入江作品の真骨頂は「滅びの美」であると教えていただく。
時間や風雪と共に古色を帯びで朽ちていくものに美を感じる。日本人の心の琴線に触れる「滅び」を被写体に見いだしているのである。
「滅びの美」が写真家・入江泰吉の創作の原点だと知る。
京都は1,000年以上もの間、都だった場所、奈良は1,000年以上前に都だった場所。
「滅びの美」そんな奈良だからこそ成立したテーマだったに違いない。
私は「映像詩、入江泰吉の気配」という作品の中で、入江先生が実際に撮影されたカメラポジションを探して、出来る限り同じ構図で映像を撮影した。当然ながら時代の流れの中で風景は激変している。しかし、入江先生がレンズを向けて作品に封じ込めようとしたエッセンスはまだ残っていた。
入江先生の写真集を片手に、入江先生が歩いた道を追いかけた。
ある時、どうしても入江先生のカメラポジションを確定することが出来ずに困っていた。
諦め切れずに歩き回っていた時だった。頭の中から入江先生の声が聞こえたのだ。
「自分の画を撮りなさい」私はその声で我に返った。
入江先生のカメラポジションを探すよりも、入江先生の作品から学ぶべきだと。
カメラマンとして形だけを真似るのではなく、入江節の心を作品から感じなければ意味がない。
入江泰吉先生がなぜ奈良に魅了されて奈良を撮り続けたのか。それは奈良にしかないものがあったから。
それこそがここにしか無い奈良の魅力に違いない。

入江先生のご遺族は入江泰吉全作品を奈良市に寄贈されたと聞く。
オーバーツーリズムが懸念される今こそ、入江作品から学ぶことがあるはずだ。
入江泰吉の奈良に対する視点は現代でも全く色褪せてはいないのだから。
*「映像詩、入江泰吉の気配・大和路篇」
https://youtu.be/5I13BwCWfEs

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保山耕一
皆様からのサポートは映像作家として奈良を撮影する事に限って活用させていただきます。 撮影での出来事や思いをnoteに綴ります。 撮影のテーマは「奈良には365の季節がある」