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ヤマトノミカタ#11「闇の中の足音」

「おすすめの奈良は?」よくそんな質問を受ける。
奈良を撮り続けているカメラマンだから、絶景を教えてくれるに違いない。質問する相手の顔にそう書いてある。
少し前まで私のおすすめは「闇」だった。
奈良には闇があった。陰翳礼讃。漆黒の闇こそが私にとっての奈良だった。
夜の帳が降り、月の光がこんなにも明るいことを教えてくれたのは奈良の闇だった。
姿を現さない生き物の声、風が吹き木々が揺れる音、鹿の鳴き声、森のざわめきは命の交響曲。
暗闇の中で視覚からの情報が途絶えると、耳の感度がより高まり、色んな音が聞こえてくる。
闇があるからこそ見えるものがある。
闇の中では蝋燭や線香の微かな光にも心が動く。微かな音にもハッとする。
奈良の闇の中で、視覚よりも音で奈良を感じることが私のおすすめ。
でも、最近はそんなおすすめは封印している。
興福寺の中金堂が落慶した際に明るい常夜灯が設置され、夜明け前の興福寺を撮影する機会が減った。浮見堂の近くにホテルが建ち、星が輝かなくなった。
月を愛でる名所でもある猿沢池は、スタバがオープンしてからは月よりもスタバの明かりが眩しく、風情の欠片も無くなった。せめて采女祭(中秋の名月)の時だけでも闇を返して欲しい。
おそらく、私のように奈良の陰翳礼讃に価値を見いだしている同じ価値観の人は、奈良の観光に携わっている人の中には一人もいないのだろう。
観光目的のライトアップは日本中どこでもやっている。奈良はライトダウンだと主張しても行政や観光関連は誰も賛同してくれない。唯一、東大寺の上司永照師だけに共感をいただいた。
蝋燭や行燈、篝火や護摩火、電気を使わない生火と月あかりだけの世界。奈良にこそ相応しいのではないか。
興福寺の辻明俊師は私におっしゃった「五重塔のライトアップは夜の10時まで。五重塔を見上げてライトが消える瞬間が最も好きだ」その言葉に心が動いて師の著書である「興福寺の365日(西日本出版社)」に映像詩を提供させていただき、付録のDVD「天平の祈り」となった。
時代と共に奈良公園周辺の闇も消えている。それでも春日大社参道の闇は今も昔と変わらない。
「なら国際映画祭2022・春日大社奉納上映」で、私の作品「映像詩、春日のいのち」が上映された。
シーン#1で私が深夜の春日大社参道を歩いている。ザッザッザッ、一歩一歩進みながら主観で撮影した。
空には星と月が輝いていたが、春日大社の闇は正直かなり怖かった。これまで数え切れないほど歩いた参道だが、昼間とは全く別の世界。鳥居をくぐり、撮影しながら一人で参道を進む。
「あれ、なにか変だ」すごい違和感を感じた。敏感になっている耳で聞こえてくるのは、私以外の足音なのだ。ザッザッザッ、私のすぐ後を誰かが同じ歩調でついてくる。私が止まると2歩遅れて音が消える。
振り向くことが出来ないので、「お先へどうぞ」と声をかけても追い抜くことなく、その足音はついてくる。
怖くなって立ち止まり、振り返っても誰もいない。「きっと恐怖からくる錯覚だ」と自分に言い聞かせて再び歩き始めると、やはり2歩遅れてその足音がついてくる。それでも参道を歩き続けると、眩しいくらいに光輝くものが見えて来た。
その光が大きくなるにつれて後から聞こえている足音が次第に小さくなり、聞こえなくなった。
その光に近づくと、それは公衆電話のあかりだった。
興福寺辻明俊師との会話を思い出した。「深夜に誰もいないお堂で祈りを捧げていると、ザッザッザッ、足音が聞こえて来る。その時に気が付いた。お参りに来る人は生きている人間だけではないのだと」
将来、奈良から闇が消えてしまったら、そんな足音も消えてしまうのだろうか。
*「映像詩、春日のいのち」
https://youtu.be/NARv6X6fZ1s?feature=shared

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保山耕一
皆様からのチップは映像作家として奈良を撮影する事に限って活用させていただきます。 撮影での経験をnoteに綴ります。 撮影のテーマは「奈良には365の季節がある」 奈良の奥深さ、魅力を多くの人に届けたいです。