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ヤマトノミカタ#61「蓮の小舟」
あれは本当に暑い夏の日だった。
近鉄飛鳥駅で下車して、あてもなく歩き続けた。
当時の私は2年近い病気治療で失った体力を取り戻すために、来る日も来る日も歩き続けた。職場復帰を目指して、歩くことが明日へとつながると思っていた。
でも、現実は厳しかった。
放射線治療や抗がん剤治療、術後の後遺症や副作用で私の体はボロボロになっていて、歩くことすらまともに出来ない。
でも、撮影に集中している時だけは、いろんな苦しみから解放されて病気を忘れられる。
だから、私は歩きながら探し続けた、ワクワクするような被写体との出会いを。
短い時間であっても、逃げることが出来ない病気の苦しみから自由になりたかった。
撮影している時だけ、真の自分に戻れたのだ。
余命宣告の通りに癌で死ぬことはなかったが、生きているのか死んでいるのか分からない日々が続いた。
そんな日常の中で撮影している時だけ、生きている実感があった。
だからこそ、病気の呪縛から逃れるために、私は心躍る被写体を奈良で探し続けた。
雨上がりの明日香村。とにかくこの日は暑かった。
暑さの中に少しでも清涼感を表現したくて、畑の水やり用に貯められた水槽に映るひまわりを撮り続けた。
たまにしか吹かない風をただひたすら待ち続ける。
映像は涼しげでも、炎天下での長時間に及ぶ撮影だった。
さらに三脚とカメラを担いで歩き続けると、地図にはない蓮田に辿り着く。
遠くには二上山が見えた。夏の花とはいえ、昼間に咲く蓮の花は、どこかぐったりとしている。蓮の花に心は動かなかった。
私は、抗がん剤治療を受けてから目眩やふらつきが日常になっていた。
この時は軽い熱中症だったのかもしれない。
蓮田の畦を歩くと、たくさんのバッタやカエルが飛び出して慌てて逃げて行く。
こんなにもカエルがいたのかと驚くほど、この蓮田はカエルの楽園になっていた。
農薬が使われていないので、この蓮田にはたくさんの命が溢れていた。
でも、元気なカエルとは対照的に、私は力尽きて畦道に倒れてしまう。
蓮田に落としたペットボトルに手を伸ばし、倒れて横になったまま水分補給をしていると、目の前にワクワクする被写体が現れた。
畔に倒れた私から逃げようと飛び上がったアマガエルが、散り落ちた蓮の花びらに着地して、ゆらゆらと揺れているではないか。
「撮りたい!」
私は泥で汚れた手で、そんなカエルにレンズを向けた。
ゆらゆらと揺れるカエルは状況が掴めないのか、不思議な顔をしている。
カエルを驚かせてはダメだ。息を潜めて、気配を殺して、ゆっくりと静かに急いでカメラをセットする。
想像すらしていなかった、突然に現れた蓮の小舟に揺られるカエル。
私は一瞬でその世界に没入し撮影を続けた。
暑いことも、熱中症の心配も、泥に汚れたことも、目眩で倒れたことも、そして、私が病気を抱えていることも、すべて忘れられた時間だった。
そこにはカメラマン保山耕一がいた。
偶然に始まった真夏の出来事。撮影しなければ誰の記憶にも残らない生き物の物語。
カエルがファインダーから消えて魔法が解けた。私は畔で倒れたまま1時間ほど眠ってしまった。
カメラマンとして歩き続ければ何が起こるか分からない。それだからカメラマンは面白い。そんなことを考えながら、力尽きて眠りに落ちた。
目が覚めると少し元気が戻っていた。
太陽に照らされお湯になったペットボトルの水を飲み干した。
泥だらけの私は入道雲を仰ぎながら新たなワクワクを探して歩き続けた。
人生、生きてさえいれば何が起こるか分からない。
カエルが私に教えてくれた。
*蓮の小舟
https://youtu.be/ANlqxT6alTk?feature=shared
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