ヤマトノミカタ#7「明日香村の棚田」
「棚田への思い」
次の世代に残したい大和の風景。そのひとつが明日香村の棚田。
自然と人の営みが長い時間をかけて作り出した奇跡の景観。
残念ながら、時代の流れの中で棚田の中には耕作放棄地が増え、昨今はまるで田んぼの墓標のようにソーラーパネルが並んでいる。そのような現状の中でも明日香村の棚田はまるで芸術品のように四季の表情を見せてくれる。
中には田植え機などの農耕機械を使えないほど小さな棚田もあり、人の手によって昔ながらの米作りが行われている。田植え作業を終えたおじいさんにお話をうかがった。
棚田の米作りのご苦労を話される中で、何度も言葉にされるのが「棚田の米は作れば作るほど赤字になる」
どうやら棚田だけではなく、小規模の田んぼでは採算が取れないようだ。
少ない年金を切り崩しながらこの小さな棚田でお米を作り続ける。それが現実のようだ。
米の買取り価格が安いことと、農耕機械の高額化、肥料などの値上がり、いい話はひとつもない。
だから、年齢を理由に米作りを辞めてしまう人を責めることは出来ないという。
私はおじいさんに質問した。「ならばなぜ、そこまで苦労して重労働の米作りを続けるのか?」
おじいさんは迷わずにこう答えた「わしはここから見る棚田の景色が好きなんや」「わしが死ぬまではこの景色を見たいんや。だから棚田は絶対にやめん」
小さな棚田で取れるお米は、もうすでに行き先が決まっているという。
「ここは棚田の一番上、ということは山からの水が最初にわしの田に入る。冷たい水はお米を美味しくする一番の条件なんや」「だから、下の者がどれだけ頑張ってもわしの米には勝たれへんねん」
友人や親戚が毎年この棚田で取れる米を楽しみにしているそうだ。
泥で汚れた顔のおじいさんとそんな話をしていると、日が傾き、田んぼが黄金色に染まりはじめた。
山から吹くひんやりとした風が植えたばかりの幼い苗を揺らしている。土の中から目覚めたカエルが田んぼに飛び込む音がする。まるで魔法にかかったように棚田が煌めいている。ただ美しいだけではない、たくさんの命がこの美しい風景を作っている。これは命の煌めきなのだ。
おじいさんは作業の手を止めてその風景を眺めていた。でも、すぐに仕事に戻り、田に入る水の量を調整している。棚田の風景に溶け込んでいるおじいさんのシルエットもまた美しい。
里山の人の営みのなんと美しいことか。
明日香村だけではない、奈良県下の棚田は今や絶滅危惧景観のひとつ。
これまではおじいさんのように人の思いに支えられて来た。でも、それが限界に来ていることは明白だ。長い年月をかけて里山の棚田風景がある。これを私たちすべての財産として捉え、後世に残していく努力をしなければ、私たちの前から消えてしまうだろう。一度消えたものは二度と取り戻すことは出来ない。
米をたくさん収穫することが日本の豊さにつながると先人達は苦労をして米を作り続けて来た。日本はお米の国。ただの景観の問題ではない、政治によって使い古された感のある「美しい日本」とは何かを美しい棚田から学ぶ時ではないだろうか