ヤマトノミカタ#2「大和大雲海」
「大和大雲海」
あれから40年ほど経っただろうか、テレビ番組の特番で東大寺修二会を約1ヶ月間に渡って撮影。私は撮影助手として修二会(お水取り)の現場にいた。当時の私は高校を卒業したばかり、いかに貴重な体験なのか知る由もなかった。博識のディレクターから悔過法要の意味を学びながらの撮影。何も分かっていない若造の私であっても修二会のインパクトは凄まじく、二月堂で繰り広げられた様々なシーンが今でもはっきりと記憶に残っている。撮影を終えて思ったのは、東大寺修二会は究極のエンターテイメントであり、至高の芸術。人間が作り出す、これ以上ない祈りの形だと、度肝を抜かれた。
奈良時代から一度も途切れることなく続いていることも驚きだった。
そして、一番驚いたのは、そんな凄い修二会を奈良の人はほとんど知らないし、興味もあまりない。そのような奈良の現実だった。「お松明は知っているけど見たことはない」かく言う私もお松明が上がるのは籠松明の1日だけだと思い込んでいたのだから、あまり偉そうな事は言えない。練行衆と共に修二会の撮影を進める中、深夜の二月堂から大和盆地に雲海が広がっているのを見た。
夜霧が低く立ち込めていると気になっていたら、それがあっという間に広がって大和盆地の街を覆い尽くした。
深夜の雲海は月に照らされて、この世の景色とは思えない絶景が広がった。
雲海で街の明かりはすべて隠され、大仏殿の鴟尾が月の光に煌めいていた。息を飲むような絶景とはまさにこのこと。表現を変えるなら、奈良時代の人が見ていた風景が私の前に広がっていたのだ。
よく、奈良は奈良時代と繋がっていると表現されるが、風景を通じて奈良時代の人と心が通じたような気がした。
ただの絶景ではない。
ただの雲海ではない。まさに時空を超えて1,300年前に旅することが出来る、そんな風景が奈良にはあるのだ。
そして、二月堂の舞台から雲海を撮影しながらふと気が付いた。二月堂のご本尊である十一面観音様がここからの風景を奈良時代から見続けてこられた。練行衆がご本尊に捧げる祈りの声明が二月堂からこの奈良の空へ溶け込むように広がっていた。雲海の下には人々の暮らしがある。国家安寧を願った1,300年続く祈りと共にこの風景がある。美しい風景がそこにあるだけではなく、人々の暮らし、人々の祈りをすべて包み込む、奈良とはそんな場所だと、すべてのことが繋がって見えた。
深夜の雲海は夜明けと共にまるで幻を見ていたかのように消えてしまった。
その時、ディレクターが教えてくれた「10年に一度あるかないか、大和盆地だけではなく京都まで見渡す限りの雲海が広がる時がある。そんな奇跡のような大雲海が現れる」
撮影助手だった私は、カメラマンになって大和盆地に広がる大雲海を撮影してみたいと強く思った。