ヤマトノミカタ#27「神々の夜明け」
「神々の夜明け」
私はテレビカメラマンとして旅番組などのロケで日本中を巡った。
台本に必ず出てくるのが夕陽のシーン。時間経過を表すには欠かすことが出来ない。
美しい夕焼けが撮れたならディレクターのテンションも上がり、視聴率も上がる。
全国津々浦々、夕陽の絶景スポットには困らなかった。
それに比べて、日の出の撮影場所は限られていて、山の展望台か海沿いなどでパターンは決まっている。
海のない奈良では初日の出を拝むとしても、生駒山上など数える程しか思い浮かばない。
私は毎朝、始発電車に乗り、奈良の風景を撮るようになって、ある事に気が付いた。
山に上がらなくても、美しい日の出スポットがたくさんある。
平地でありながら、日の出が映える場所が実に多い。
氷室神社の大宮守人宮司は日の出前からの散歩を日課とされている。春日野(奈良公園周辺)の散歩から実感されたことを教えてくださった。「春日野は朝陽を拝むための祭礼の神地だったに違いない」
なるほど、春日山から昇る朝陽が中心となり、すべてのものが存在する。だから、日の出が絵になるのか。
逆に考えると、思わず手を合わせてしまうような朝陽が昇るからこそ、それが祈りへと深まり聖なる地となった。
理由はどうあれ、奈良には日の出の絶景スポットがとても多い。
私は作品上映会を始めた頃にそんな気持ちを映像詩にまとめた。
「神々の祈り」東大寺、平城宮跡、飛火野、御蓋山、どの場所でもご来光の瞬間は撮影しながら手を合わせて、今日を生きていることに感謝した。
冬の朝、あたたかく眩しい朝陽を全身で受け止めながら、私の心身は浄化され、新しく生まれ変わった気持ちになれた。
病気で体が弱っているからこそ、朝陽の力強さが必要だった。
病気で心が弱っているからこそ、朝陽の優しさが必要だった。
冷え切った体の芯まで朝陽が届くのがとても心地良く、あと1日だけは生きることを天から許されたと感じた。
「一日一生」という言葉が湧き出たのは、そんな瞬間だった。
健康で幸せな時には気付くことは無かっただろう、朝陽の強さと優しさに。
「神々の夜明け」は、ただ美しいだけの映像詩ではない。
すべてのカットにはいろんな思いが込められている。
霜が朝陽に照らされて溶けていく。その霜は私の心の投影でもあった。
鹿の背中には神の降臨が。
朝陽を浴びることで、人は再生できる、もう一度やり直す事が出来る。
1日の始まりは、命の始まりは、こんなにも美しい。
春日山から毎日毎日、朝陽が昇るように、人もまた何度も何度もやり直せる。
*「神々の夜明け」
https://youtu.be/GMgBGcfywEs