ヤマトノミカタ#9「長谷寺の奇跡」
「長谷寺の奇跡」
テレビカメラマンとして30年以上も大和路を撮り続けていると、それぞれの社寺に忘れられない思い出がある。
長谷寺もそのひとつ。私にとっては特別な存在。テレビ放送が地上波デジタルになり、ハイビジョンカメラで初めて撮影したのは長谷寺だった。
私は東京で癌の手術を受け奈良に戻った。撮影現場に復帰出来ない日々、奈良の社寺を安価なカメラで撮り始めた。
死亡率の高い末期の直腸癌なので、おそらく長くは生きられないだろうと覚悟していた。これで見納めだと、思い出が詰まった場所にレンズを向けた。
春日大社、東大寺、唐招提寺、そして、長谷寺。
抗癌剤治療の影響で私の体力が落ちてしまい、駅から長谷寺まで歩くのが精一杯だった。
やっとの思い出たどり着いた長谷寺。しかし、山門には「三脚禁止」の看板が。
その時の体力では手持ちで動画を撮ることなど到底出来なかった。
撮影を諦めて山門近くで腰を下ろして休憩していると、長谷寺の若い僧侶に「三脚は使用禁止です」と厳しく注意をされる始末。ただ三脚を持って座っているだけなのに。若い僧侶に悪気はないのだろうが、私は情けなくなり涙が止まらなくなった。そして、ワンカットも撮らずに長谷寺を後にした。
テレビ局の後ろ盾がなければ、私はアマチュアカメラマンと同じ。当たり前のことが私の中ではとても重かった。
それから2年が経っただろうか、初瀬観光協会の当時の会長・藤井守先生とご縁に恵まれ、長谷寺の撮影許可をいただけることになった。
藤井先生はわざわざ長谷寺の本坊まで同行していただき、私と長谷寺をつないでくださった。そして、私が長谷寺で最も撮りたかった桜の時期に1日だけ撮影の許可がおりた。許されたのは午前8時から午後5時まで。時間を無駄にはしたくなかったので、前日は近くの旅館を予約して万全の準備をした。
しかし、私は右足を痛めてしまう。手術の後遺症で右足が少し不自由ではあったが日常生活に支障はなかった。
でも、長谷寺の撮影を前にして足が腫れ上がった。一歩一歩に激痛が走る。痛み止めと塗り薬で、なんとか歩けるようになり撮影の朝を迎えた。旅館から山門まで歩くだけでも痛みで顔が歪んだ。
長谷寺の階段は399段ある。長さは108間(約200メートル)煩悩の数だけ痛みに耐えて階段を上らなければ本堂へはたどり着けない。
腕章を付けて、いよいよ撮影を始まった。狙っていたのは桜吹雪。
長谷寺は南側斜面にあり、下から本堂に風が吹き上がる。その風に桜の花びらが舞い上がり、まるで本堂の十一面観音様に向かって流れるように散っていく。
本堂の舞台にカメラをセットすると、まるで私を待っていたかのように風が吹き、桜が舞い始めた。
言葉を失うほど素晴らしいソーン。「まるで極楽の風景」私は足の痛みを忘れて撮影に没頭した。
舞台での撮影だけではなく、太陽に角度に合わせて撮影ポジションを移動する。399段の階段を何度も上り、山門と本堂を何度往復しただろうか。
次第に足の腫れが酷くなり、激痛に気分まで悪くなる。
途中で痛み止めを足に塗るが効果はなく、遂に坂道の途中で動けなくなってしまった。座ることも出来ない、ただ立って手すりにもたれ痛みが引くまで待つしかない。我慢も体力も気力も限界だった。
でも、午後5時まであと2時間はあっただろうか、どうすることも出来なくなった私の背中に「保山さんですか?」と女性の声。振り返ると、なんと紺野美沙子さんではないか!
プライベートで吉野山から長谷寺をお参りされていた。私のYouTubeを観てくださっていると知り、2度驚いた。少しの間、奈良のことを夢中でお話しした。紺野さんと別れると、不思議なことに痛みが軽くなり、歩くことが出来る。本当に困り果て万策尽きた時に観音様が現れた。まさしくそんな感じだった。紺野美沙子さんは私にとっての観音様だったのだ。
最後のワンカットを撮影し、午後5時になった。腕章を返却し、すべては終わった。
私はやり切った。テレビカメラマンとして、そのスキルのすべてで撮りたかった長谷寺の桜を撮影した。
この日の映像は川上ミネさんのピアノ曲で再編集し、NHKフィラー番組「映像詩、やまとの季節七十二候」に収録されるが、それはまだずっと後になってからの話。
*YouTubeでご覧いただけます。
https://youtu.be/etuTd3KsKCk?feature=shared