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ヤマトノミカタ#14「穢れなき祈りの道」

秋が深まると、大峯の山に龍が現れる。
初めてその姿を目撃したのは、大峰山脈にある行者還トンネル(標高1,110m)から上北山へと向かう林道をロードバイクで走っている時だった。見渡す限りの山々には杉や檜の常緑樹が植林されている。しかし、尾根筋だけは本来の森の姿である落葉樹の植生が残っている。山桜などの落葉樹が紅葉し、まるで龍が山を駆け上るように見える。今ではすっかり有名になったナメゴ谷の紅葉だ。
テレビ番組で全国の紅葉を紹介する企画があった。ディレクターが他所にはない少し変わった紅葉を取り上げたいとの理由で撮影が決まった。
どうして尾根筋にだけ落葉樹が残ったのか、番組ではその理由を調べてはみたが、明確な理由が分からない。地元の関係者に質問するという流れになったのだが、やはり理由が分からない。
そこで、番組サイドで理由を用意した。「地主が境界線として落葉樹を残した」「防風林として残した」「防火林として残した」「落葉樹の落葉が堆肥となるので残した」どれもがそれっぽい理由で、なんとなく視聴者を納得させる形で番組は締め括られた。今ではコンプライアンスに問題ありだが、当時のテレビはそのような番組作りが当たり前だった。
でも、どうして尾根筋だけに落葉樹が残ったのか、私はずっと気になっていた。
それから時間が経ち、私の作品上映会で吉野山櫻本坊の巽良仁ご住職にご縁を頂いた。
巽ご住職のお話の中で、修験道の山伏がお山で修行する時は尾根筋を歩く。もし、尾根筋で大小便をもよおした時は尾根筋を外れなければならない。それを小便一丁糞八丁と言う。小便なら尾根から約100メートル、大便なら800メートル離れるのが暗黙のルール。修験道は山岳信仰であり、山へ籠もって厳しい修行を積む。山を歩くことも修行。だから、山伏が歩く尾根筋は祈りの道である。大小便の扱いからも尾根筋が特別な存在であることを窺い知ることが出来る。
そのお話と尾根筋の落葉樹が伐採されずに今も残っている謎が見事に繋がったのだ。
穢れなき聖なる尾根筋は不伐の森だった。
風景のその奥にある歴史や文化を紐解けば、見え方が一変する。ただ美しいだけではない、人の心が作り出した絶景がそこに現れる。奈良にはそんな風景がたくさんある。だから、学ばなければ、本当の姿を見たことにはならない。それが奈良なのだ。
因みに、奈良では特に南部地方でも「小便一丁糞八丁」という言葉を何度か聞いたことがある。
でも、その使われ方が違っていた。集団で山を歩いている時、小便なら100メートル遅れる、大便なら800メートル遅れる、そんな意味で使われていた。どちらが最初かは分からないが、この言葉も時代と共に死語となるのだろうか。
*ナメゴ谷の秋
https://youtu.be/W62AcOMDh4w?feature=shared

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保山耕一
皆様からのサポートは映像作家として奈良を撮影する事に限って活用させていただきます。 撮影での出来事や思いをnoteに綴ります。 撮影のテーマは「奈良には365の季節がある」