見出し画像

ヤマトノミカタ#54「神鹿の情け」

岡本彰夫著「日本人よ、かくあれ」(ウェッジ)の表紙に使われたこの写真には忘れられない思い出がある。

あの頃の私は、直腸癌が肺に転移し、化学療法を受けた後だった。末期の直腸癌が転移した場合、5年以内の生存率が極めて低いことは主治医から聞かされていた。

自分の置かれた状況に思うことはたくさんあったが、残された命はあと3年だと想定して、今の私が何をすべきなのか、何がしたいのかを改めて自問自答した。
とは言っても、高校を卒業してからテレビカメラマンとして働いてきた私は、撮影以外に資格や経験は無く、治療を続けながら、テレビの現場を離れて故郷である奈良を撮り続けた。

「私が生まれ育った奈良はこんなにも美しい」その思いを多くの人に伝えたかった。
テレビ番組のロケで世界中を撮影した経験から感じた「奈良には365の季節がある」を撮影のテーマとし、日々撮影した映像詩のタイトルを「奈良、時の雫」と名付けた。

世界中の世界遺産を撮影し、外から奈良を見た時に初めて気付くことがたくさんあった。
その一つが、奈良にははっきりとした四季があり、その繊細な季節の移ろい、四季それぞれの表情、こんなにも豊かな四季がある場所は、世界の中でも稀だった。
奈良で暮らす人は、四季があって当たり前。でも、それは世界から見た時、特別な環境であり、とても恵まれているということ。

私は四季の素晴らしさを他の誰よりも奈良の人に映像を通して知ってもらいたかった。

私は365の季節を撮影するために、日々撮影を続け、その日に撮影した映像は、その日の夜に編集してSNSで発信し続けた。

その日の内に公開するには理由がある。
私には翌日に目が覚めることは特別なことだった。

もし、死んでしまえば折角撮影した映像が無駄になってしまう。人生をかけたカメラマンという生き方、最期のカットを公開せずに旅立つのは私の望みではなかった。

病気を抱えながら日々の撮影を続けることは簡単ではなかった。
衰え続ける体は限界に近く、何度も撮影をやめようと思った。

やめる理由はいくらでもあった。でも、私は仕事でもない、奈良を撮影するということを諦めなかった。いや、諦められない理由があった。

ある時、奈良盆地に雲海が広がり、私は若草山を上って山頂からその絶景を撮影した。
そこにはいつものように鹿がいて、その背景には雲海が広がっていた。
私は急いでカメラを構えるが間に合わず、鹿はフレームから外れてしまう。
あと10秒早くここへ来ていたなら、鹿と雲海の絶景が撮れたが、私はそのシャッターチャンスを逃してしまった。カメラマンにとってそれは烙印を押されたようなもの。
自分が情けなく、その後悔は心から消えず、ずっと引きずっていた。
絶景のシャッターチャンスを逃したカメラマン。このままでは死んでも死に切れない。
カメラのプライドにかけて、いつかリベンジすると心に誓った。


それから、日々の過ごし方が変わる。
毎日、日の出時間の2時間前に霧が出ていないか、その兆候がないかを確認する。
奈良県の気象台はなぜか濃霧注意報をあまり発令しない。三重県の名張や京都の南部に濃霧注意報が出されると、奈良に雲海が現れる可能性が格段に上がる。
湿度や風も重要、理想は無風。空に雲がなく、放射冷却。自宅前のロードミラーが曇っている。いくつもの雲海チェックポイントを確認することが日課となった。
雲海は秋と春に出現率が高い。でも、どんなことにでも例外があり、クリスマスシーズンにも雲海が出ることがあった。

一年以上が過ぎた頃、遂に奈良盆地に雲海が広がった。

空は快晴、まさに理想的な大和大雲海。私は前回の失敗を繰り返さないために、日の出前から若草山に登って準備万端。
夜が明け、雲海にレンズを向け、夢中で撮影する。

しかし、大きな問題が。鹿の姿がない。

そして、若草山には次々とアマチュアカメラマンがやって来て、100人は越えていただろうか。そこへ、鹿が現れたので、カメラマンがその鹿を追いかけて大混雑となる。
鹿が右へ歩けば、カメラマンの集団も右へ、鹿が左ならカメラマンも左へ。
写真ではそうなるのだろうが、とても動画で撮影する雰囲気ではなかった。
そんな様子を客観的にみると、雲海を背景に鹿というモデルに振り回されているカメラマン。なんだかカオスを見さされている気分になる。

それでも、私は鹿と雲海のリベンジを果たすためにここに立っている。
そうかと言って、あのカメラマン集団の中に入っても何も撮れない。
どうすれば良いのか?リベンジを果たせられないのか?

途方に暮れて、鹿から少し離れた所で立ち止まって何も出来なくなってしまった。

その時、カメラマンが追っている鹿とは違う一頭の鹿が私の前に突然に現れる。
そして、いかにも「私を撮りなさい」と言っているように、絶好の場所に止まった。
写真を見て欲しい。カメラがあって、鹿がいて、その奥には御蓋山と雲海。
私が心から求めていた絶景が目の前に現れたのだ。

実は、鹿の向こう側には50人程のカメラマンが別の鹿を撮影するのに夢中になっているのだが、写真の鹿のいる場所が少し高くなっているのでカメラマンの姿はその陰になりすべて隠れている。
そして、その鹿はかなり長い時間、ずっとそこから動かずにいてくれた。
若草山には100人ほどのカメラマンで混雑していたが、この鹿を撮影していたのは、私1人だった。

多くのカメラマンがいる時点で私はリベンジを諦めかけていた。
自分の中で欲が消え始めた時、鹿が現れた。
鹿と御蓋山と雲海、そんな絶景を撮影しながら私は客観的に自分を見ていた。
これを奇跡と呼ばずになんと表現すればいい?
いくらなんでも、出来過ぎている。長いカメラマンとしての経験から、こんなことあるはずがない。

「これは春日の大神様が私に撮らせてくださったに違いない。それしか考えられない」
私は確信した。

「この鹿は神様の使いなのだ」

神鹿が私に情けをかけてくださり、撮らせていただいた。
こういう奇跡が起きるから、奈良では昔から鹿は神様の使いだと言い伝えられているのだろうか。
この写真のカットを撮り終え。
鹿に向かって二礼二拍手一礼し、小さく「ありがとうございました」とつぶやくと、鹿が山へ帰って行った。

どうして、明日のことも分からない病気で弱っている私にこんな奇跡が起きたのだろうか。
それには理由があるはずだ。でも、きっと今はそれが分からないのだろう。
ひとつだけはっきりしているのは、私は私が出来る唯一のこと、奈良を撮り続けることを諦めてはいけない。

撮り続けていれば、いつの日にか、神様が私に起こしていただいた奇跡の理由が分かる時が来るだろう。その日が来るまで病気で倒れるわけにいかない。
私はそう受け止めた。


「鹿は神様のお使い」その言葉の本当に意味を知り、心にしまった。


*大和大雲海

https://youtu.be/JTaeL61_wjo?feature=shared

いいなと思ったら応援しよう!

保山耕一
皆様からのチップは映像作家として奈良を撮影する事に限って活用させていただきます。 撮影での経験をnoteに綴ります。 撮影のテーマは「奈良には365の季節がある」 奈良の奥深さ、魅力を多くの人に届けたいです。