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ヤマトノミカタ#32「志賀直哉の提言」
「志賀直哉の提言」
文豪・志賀直哉と言えば「奈良にうまいものなし」が広く知られている。
しかし、志賀直哉は奈良の佇まいに魅了され、奈良で住み、随筆の中で奈良のうまいものを紹介している。「奈良にうまいものなし」は今でいうメディアの切り取りのようなものか。
志賀直哉の言葉からは時代を越えて奈良愛が伝わってくる。
志賀直哉は「奈良公園」という名称は変えるべきだと提言した。
公園という言葉は相応しくない、別の名称をつけるべきだと。
確かに奈良公園という世界にも稀な場所が、どこにでもある公園という言葉が適切だとは思わない。奈良公園という名称が付けられる前から、この場所の歴史や現在に至る経緯を考えると、奈良公園という名称は、まったくその本質を表してはいない。
それゆえに、現代において奈良公園の理解が深まらない原因にもなっている。
最近は奈良公園のお誕生日を祝う観光PRがある。でも、よく考えて欲しい。奈良公園と名称が付けられる以前から、この地は神仏と人間と鹿が適切な距離感を保って存在し続けて来た。
それも含め、奈良公園という名称がその本質を表すように名称に変更すべきだと、私も志賀直哉と同じ思いでいる。
インバウンドで賑わっていた奈良だったが、突然のコロナで奈良公園からも観光客の姿が消えた。
そんな状況が一年続いた頃、東大寺上司永照師に、この状況をどのような思いで見ておられるのかをお聞きした。師は迷うことなくおっしゃった。
「自然が本来の姿を見せている。草花が生き生きとしている。インバウンド景気で鹿のフンも変わってしまったが、今は鹿のフンも元の形に戻った」
コロナ禍で人の価値観も変わり、社会が経済的な心配に苛まれている時、師の目線は自然に向いていた。そして、私たちがコロナ騒動の中で気付いていない大切なものを教えてくださった。
師の言葉を聞いて、改めて奈良公園を見直すと、そこには本来の自然を取り戻した奈良公園があった。芝生が禿げて土が露出していた場所ですら、芝生が再生し生き生きと育っている。
奈良公園の芝生のなんと美しいことか。そして、神様の使いの鹿がのどかにその芝を食んでいる。
コロコロとした鹿のフンには糞虫の姿。こんなにも美しい奈良公園を見るのは子供の頃以来だった。
海外ロケで伝統ある大学のキャンパスで撮影した時のことを思い出した。
そのキャンパスの芝はとても密でフカフカだった。学生達が芝の上で本を読んだり寝そべったり、午後の時間を気持ちよく過ごしていた。大学教授は言った「この芝を大切に管理して100年以上は経っている。それだけの時間がなければ芝はここまで育たない。時間と手間が必要。このキャンパスの芝は文化であり、私たち大学の誇りである」
奈良公園の芝は鹿の主食でもある。野生動物の法則で言えば、鹿の個体数は主食である奈良公園の芝に比例する。最近の奈良公園は、どんどん芝の面積が減っている。木が大きく育ち木陰が出来ることで芝の日照時間が減る。奈良公園内の一部が舗装される。建物が立つ。イベントにより車の侵入やテントの設置で芝の生育に悪影響を及ぼす。
実際に登大路園地などは芝にとっては取り返しのつかない状況になりつつあり、雨が降れば大きな水溜りが出来るようになった。
最も深刻なのは、奈良公園の環境を守ろうとする動きがないことだと私は失望している。
どうして、こんなにも素晴らしい奈良公園の環境に誰も注目しないのだろうか?
コロナが私たちに見せてくれた奈良公園の本来の姿。それが奈良公園の価値に気が付く最後のチャンスだったと私は感じている。
ハワイのあるビーチの話。コロナで観光客が消えたことで自然が回復し、本来の美しい姿を見せた。
地元の人はその自然の尊さに気がつき、コロナが明けてもそのビーチに入場制限をかけた。
ハワイの人は何が最も大切で守らなければならないかをコロナ禍で学んだのだ。
奈良県庁の前に奈良公園が広がっている。県庁の窓を開ければ奈良公園が見える。
私は奈良公園から観光客を排除しろとは望んではいない。
奈良公園の価値を共有して、未来へと届けたいのだ。みんなの思いが結集しなければ成し得ない。
今こそ、奈良公園の過去と未来を見るべきだと私は思う。
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