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ヤマトノミカタ#16「十津川村への道」
あれから40年は経っただろうか。私が初めて十津川村へ行ったのはテレビ番組のロケだった。
大阪から十津川村役場まで8人乗りのロケ車で移動するのに一日がかり。当時は陸の孤島と呼ばれ、誰もが簡単に行ける場所ではなかった。
番組のテーマは明治の十津川村大水害。死者は168人を数え、村は壊滅的な被害を受けた。
十津川村へ向かう途中で雨が振り出し、近づくにつれて雨足が激しくなる。
十津川村へは五條から国道168号をひたすら走る。深い谷、曲くねった山道が延々と続く。
車中で番組台本を読んでいて気が付いた。死者の数と国道が同じ168なのだ。
偶然の一致だが、妙に心に引っ掛かった。
雨は休まずに降り続く。大雨のイメージ映像を撮るには困らないが、テーマが水害なだけに、ロケ車内の空気はどこか重かった。
今では観光名所として有名になった谷瀬のつり橋がある上野地区。そこには水害伝承碑がある「明治22年8月19日、洪水の氾濫がこの場所まで及んだ。石を立てて後世の警戒とする」と刻まれている。その石碑は川から200メートル離れ、水面から25メートルの高さにあった。ここまで洪水にのまれたなど、とても信じられなかった。明治の大水害を警告する石碑が60基ほど作られたと記録にはあるが、今では数基しか確認できないと聞いた。
次に向かったのは、水害で集落がすべて流されたという場所だった。
ロケ車から降りると更に雨が強くなり、雨音で会話が難しい。山々は雲で覆われて視界は白く霞んでいた。
突然、ディレクターが叫ぶ「みんな車へ戻れ!」
意味も分からずに急いで車に乗ると、ディレクターはこう言った「人に囲まれている」
私には見えなかったが、霊感の強いディレクターは恐怖で震えていた。「人」が誰なのかは分からないが、無表情の人にロケ車が囲まれていると言う。
その日の撮影は中止となり、改めて出直すことになった。
そんな出来事から40年が過ぎた。国道168号はトンネルやバイパスの整備が進み、京奈和道の五條インターチェンジから十津川村役場までは車で2時間かからない。今も新しい橋が開通するなど整備は続いている。十津川村への唯一のルートである国道168号は災害復旧道路でもあり、更谷前村長は命の道と呼ばれていた。今、平成23年の紀伊半島大水害からの復興も進み、十津川村は人気の観光地となっている。
でも、私は十津川村へ向かう時、国道168号の道路標識を見るたびにあの日のことを思い出す。
特に意識しなくても、常に水害の犠牲者に対して追悼の気持ちを持って十津川村を撮影している。
明治の大水害の痕跡は風景の中には残ってはいない。水害を経験した村人はもういない。
それでも、この土地にはその記憶が間違いなく刻まれている。
十津川村の奥深い場所にある21世紀の森には十津川村置村100周年を記念して建てられた絹谷幸二画伯の「十津川に昇る太陽」水害記念碑がある(写真)
私は十津川村更谷前村長とのご縁から十津川村置村150周年記念式典で上映する映像を提供することになった。その映像作品は、満開の桜の下で今も水害を伝え続ける水害記念碑の映像から始まる。
*大いなる十津川村
https://youtu.be/nkQ5uD8xF_A
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