ヤマトノミカタ#13「四寅参り」
「三寅参り」
寅の月、寅の日、寅の刻。3つの寅が揃った時に信貴山へお参りすると願いが叶う。
先輩カメラマンが教えてくれたのは、私が撮影助手だった修行時代。
フリーランスといえば聞こえは良いが、低賃金の日雇い労働者がその実態。
仕事を早く覚えたいので、仕事の発注がなくても撮影現場に行くことは珍しくなかった。勿論、そんな日のギャラは0円。
何度もアパートの電気を止められた。現場へ向かう電車賃がなく、駅の売店で100円を貸してもらったり。
そんな私の一番の願いは、貧乏から抜け出すためにカメラマンになること。願いが叶う三寅参りが気になった。
信貴山とは信貴山朝護孫子寺のこと。地元民は親しみを持って信貴山(信貴さん)と呼んでいる。
奈良県のお寺だが、どちらかと言えば大阪の人がお参りするイメージがある。
私が貧乏生活をしていたのが偶然にも12年に一度の寅の年だった。そして、これまた偶然にも信貴山ロケの発注が来た。これはきっとご縁があると直感した。
寅の年の信貴山は平日でも賑わっていた。お寺の人が言うには「寅の年と阪神タイガースが優勝した時はたくさんのお参りで賑やかになる」そうだ。
撮影クルーは信貴山寺内の宿坊に宿泊する。
なんと、その夜は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻と寅が4つも重なる四寅なのだ。
お寺としては大々的に四寅を宣伝されている様子もなく、特別な法要の情報もなかったが私はお参りすると決めた。
寅の刻は午前3時から5時ごろ、撮影の予定はなく、撮影クルーは眠りの中。
私は布団から抜け出して本堂へ行った。お参りの人が3人ほどいらっしゃっただろうか。
時間になると本堂の扉が開かれて法要が始まった。2月の午前4時、極寒の本堂で私は撮影助手の仕事をもらっていたプロダクション(放送映画製作所)に就職できる事をひたすらお願いした。
三寅で願いが叶うなら、四寅なら絶対に大丈夫に違いない。これで貧乏生活から抜け出せる。
しかし、結果的に私の願いが現実になることはなかった。
その時は、神も仏もあるものか、カメラマンになって信貴山を撮影することもあったが、信貴山を深く信心する気持ちにはなれなかった。
それから40年が過ぎた。振り返ると見え方が違ってくる。
四寅参りからカメラマンとして働き出すまで、それほど時間はかからなかった。ひとつの会社に就職しなかったことで私のカメラマンとしての世界が大きく広がった。仕事の基本を覚えた紀行番組だけはなく、報道やスポーツ、ドキュメンタリーからドラマまで、いろんな人との出会いがあり、カメラマンとしての成長につながった。
そして、私が求めていた場所まで上ることが出来たのだ。テレビ界や映画界の多くの優秀な先輩たちとの出会いがカメラマンとしての礎になった。
あの時に願いが叶わずに就職出来なくて本当に良かったと、今の私は信貴山に感謝している。
そして私は知った。神仏は人の願いを言葉のままに聞き入れるのではなく、もっと奥を見ていらっしゃる。
願いのその奥にある祈りを捧げる人の人生すら受け止めてくださる。だから、あの時の私を見て、貧乏から取りあえず逃げたいと思っていた私をどのように導けば良いのかを考えて下さったのだ。
だから、私の四寅の願いは叶わなかった。
大切なのは、神仏への信心を自分から断ち切らないこと。その時に思い通りにならないことがあっても、いつかはそれが意味のあることだと知る時が来る。神仏との関わりはとても奥が深い。
四寅参りでひたすら願っていた当時の私を信貴山のご本尊様は今も忘れずに見て下さっている。
余談ではあるが、
コロナ禍で予定していた上映会(川上ミネさんとの二人会)が奈良県の判断で突然に中止とされた。
その時、かなりの赤字を個人的に負ってしまった。
奈良県は赤字を補填してくれない、困っている時に、ある大学教授から、中止になった上映会のチケットをすべて購入させて欲しいと申し出があった。地獄にいた私には、天から降りてくる蜘蛛の糸のようだった。
その大学教授のお名前の一文字が「寅」だった。見守って下さっている、そう思った。
そして、来月には川上ミネさんとの二人会が実現する。
*晩秋の信貴山
https://youtu.be/0ljNFbSFq5U