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ヤマトノミカタ#6「飛火野とナンキンハゼ」

「飛火野とナンキンハゼ」

世界遺産・春日大社。その境内地である飛火野(とびひの)と呼ばれる場所は、表参道に面した広大な空間。芝生が広がり、神様のお使いとされている鹿が芝生を食み、一年を通してのどかな雰囲気に包まれています。古くは春日野(かすがの)とも呼ばれ、春日大社の神山・御蓋山を遠くに仰ぐ古代祭祀の地でした。

この場所から見る御蓋山が最も美しいという人はとても多く、休日ともなれば、市⺠の癒しの場所となります。

そんな歴史ある飛火野の中心に一本の大きな木があります。秋になれば真っ先に紅葉し、私たちの目を楽しませてくれます。観光客や奈良の人たちに愛されているその木は「ナンキンハゼ」中国からやって来た外来種です。ナンキンハゼは中国の中南部を原生地とし、江戶時代に種子から蝋を採る樹として⻑崎に渡ったものが、後に街路や公園で植えられるようになりました。日本の在来種ではない中国原産のナンキンハゼが春日大社の境内で大きく育ち、そして、たくさんの人々に愛されて来たのです。
しかし、外来種であるナンキンハゼは在来種よりも繁殖力が旺盛で、近年は奈良公園周辺だけではなく、若草山や春日山原始林にも広がりを見せています。大きく育つ樹形は周りの景観を隠してしまうだけではなく、日陰が出来ることにより、鹿の主食である芝の生育にも悪影響を及ぼし始めたのです。
ナンキンハゼが奈良公園に植樹されたのは奈良県の公園整備の一環だと聞いています。モミジと比べて早くに紅葉することが好まれた理由のようです。当時はこれほどまでの侵略的な植物だとの認識は無かった想像出来ます。
ナンキンハゼは鹿が食べないこともあり、この10年ほどで爆発的に繁殖しました。
それに慌てた奈良県は最近になって外来種であることを理由にナンキンハゼの伐採を始めました。しかし、目に付く大木を伐採するに留まり、ナンキンハゼの広がりを完全に止めるまでには至っていません。若草山に上って周りを見渡せば絶望的な広がりに誰もが驚くでしょう。
日本人の都合でナンキンハゼを植樹し、広がり過ぎて手に負えなくなって今は放置状態。
ナンキンハゼに限らず、侵略的外来生物が繁殖して定住してしまえば、元に戻すことはほぼ不可能だと言われています。
でも、私はそんなナンキンハゼを100%憎むことは出来ません。秋になれば美しい紅葉にカメラを向けることもあります。そんな気持ちになるのはこの奈良という土地の意味を知っているからではないでしょうか。

シルクロードの東の終着地である奈良で、中国生まれの木が育ち、日本人に愛されている。
大陸の文化や仏教がシルクロードを通って日本へ渡り、日本人に受け入れられ、さらに発展を見せたその物語とこのナンキンハゼの木が重なって見えるのです。
奈良の歴史や文化の多くは、遣隋使や遣唐使などにより中国から伝わって来ました。それがそのまま残っているのではなく、日本人の感性によりさらに発展し現在に至っています。中国との繋がりがなければ、今の奈良はありません。そんな歴史を知れば、今の奈良の風景がまた違って見えてくるのです。

写真は飛火野の紅葉するナンキンハゼです。現在、左の一本だけが残り、他は伐採されて代わりに桜が植樹されています。奈良県の方針により、すべてのナンキンハゼの大木が伐採されるかと覚悟していましたが、この一本だけは残されたようです。
私はこの残されたナンキンハゼの樹形にとても魅了されています。
私が東京で癌の治療を終えて故郷奈良へ帰って来た時に、奈良で一番好きな場所・飛火野へ行きました。
末期癌の宣告を受けていたので、故郷とさよならする為、最後に飛火野を見ておきたかったのです。
そこでこのナンキンハゼを見て、言葉には出来ない力強さを感じました。
大陸からの種がこの歴史ある場所で大きく育ち、堂々と空に向かって立っている。
私は奈良の空の下で、このナンキンハゼのようになりたい。そう強く思いました。
ナンキンハゼが社会の悪者になってもこの一本は伐採されず、今も変わらずにそこにいるのです。日本人の感性により取捨選択され、この一本は残ることを許されました。この命を残してくださった春日大社の判断に心から感謝します。
すべての外来種を同じイメージで捉えるのではなく、外来種といえどもそこには命があり、物語がある。
奈良というのはそういう場所なのです。

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保山耕一
皆様からのサポートは映像作家として奈良を撮影する事に限って活用させていただきます。 撮影での出来事や思いをnoteに綴ります。 撮影のテーマは「奈良には365の季節がある」