どうやって人類はここまで発展したのか?②
前回の内容は上から読めます。前回は、取引が人類の発展に大きく影響しているという話をしました。
しかし、取引で発展したといわれても、まだ疑問が残っていると思います。それは、「なぜ脳は大きいのに、物々交換が急速に広まらなかったのか?」ということです。脳が大きくなった時期と、取引が始まった時期は大きく異なりますよね。狩猟採集民として野生に生きていた時代にはすでに脳は大きかったという記録もあります。
この質問には2つの理由があります。一つは、リーダーによる規制で、もう1つは人間の欲として自給自足を求める習性があったからです。
リーダーによる規制
今も昔もほぼすべての地域で取引に関する規制が行われています。ただ、この規制も昔よりはかなり緩くなりました。
昔は他地域との取引や他国との取引をすること自体に制限がありました。相手が得すると何となく自分が損していると感じたのでしょう。しかし、取引はゼロサムゲームではありません。世の中には、両者にとって利益となる取引があふれています。
こういった規制は、資本主義社会の形成や国の自由化によって自由に取引ができるようになると、どんどん加速していきました。文明が進むことで貿易が生まれ、現代ではインターネットによって高速で取引が行われます。
単純に取引の回数が急速に増えているから世の中も急速に発展しているのです。
自給自足を求める習性
規制が発展のストッパーとなっていることをわかって頂けたかと思います。それではもう一つの人間の欲として自給自足を求める習性について考えてみましょう。
なぜ自給自足を求めるのかというと、これは単純に「リスクを減らすため」ですね。他者とのかかわりをなくして自己完結すれば、リスクは小さくなります。
例えば、自分が釣り針作りのエキスパートであった場合、漁獲量が減ったときに「釣り針は要らないから、魚はあげない」と言われたとします。
他人に食料のコントロール権を握られているので、これはどうしようもありませんが、釣り針しか作っていなかったため、自分で魚を釣るだけのスキルがありません。その結果、死んでしまうかもしれません。
つまり、分業は何か自然災害等が起きた時に生きていけなくなる可能性があるのです。
しかしこのリスクは、取引が増えれば解消されます。布を魚・植物・肉のどれとでも変えられる場合は、自給自足よりも圧倒的にリスクは減ります。夏は肉と交換してもらい、冬は植物と交換してもらえば済むからです。つまり、スケールが大きくなるほどにリスクが減っていくのです。
スケールが大きくなることで得られる恩恵は、リスクの低下だけではありませんね。効率も上がっていきます。前回書いたように、同じことを繰り返すことでスキルが身に付きます。さらに生産量が必要となれば、生産用の道具(機械)さえも取り入れることができます。
そうやって効率化を進めた結果、大量生産・大量消費の現代にまでつながってくるのです。
これを知って、あなたはどう生きるか?
現代では、プログラミングや英語教育などの教材が増えています。多くの人が教育に関して熱心なのは、やはり未来への不安が原因でしょう。
しかし、過去の歴史を見る限りでは、周りと同じことをするのは良いとは言えません。日本では、高度成長のタイミングで人手による大量生産が必要だったことと、質の良い教育を国民全員にいきわたらせるために、一括教育が行われました。つまり、周りと同じことを学ぶ理由は、最低限の教養が必要だったこととコストを抑えることが目的だったのです。
現代では、ネットでいくらでも良質な情報が得られます。それも無料で。
今の状況と、一括教育が行われた理由を考えると、わざわざ周りと同じ行動をする理由はないことがわかります。
周りと同じ能力を身につけても、もはや現代では自給自足はできませんし、自分の専門をもって他人に貢献することも難しくなります。
つまり、周りと同じ能力というのは高度経済成長期にだけ必要だった能力であり、基本的には、他人との差別化こそが数万年前から現在にかけてずっと必要な能力だったのです。
ダイバージェンス(多様性)といった言葉を最近よく耳にしますが、数万年前からダイバージェンスは必要だったのです。ダイバージェンスが必要なんて当たり前なのです。人間はダイバージェンスを強みとして他の動物を圧倒する生産性を発揮してきたのですから。
今後我々がやるべきことは、ニッチで誰かに必要とされる仕事をすることです。ニッチ産業は生産性が上がれば、必ず広まります。みんなと同じ勉強で誰かと競い合うよりも、差別化された能力を身に着けるほうに目を向けてみてはどうでしょうか?
参考:繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史 マット・リドレー
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