見出し画像

あなたのレバーをいただきます。

一見怖い表現ですが、これはペルシア語で深い愛情を表す言葉です。「あなたのためなら何でもする」「食べてしまいたいくらい愛している」といった感情が一言に収められているのです。(余談ですが、少し前に君の膵臓を食べたいという小説もありましたね)

愛情表現もそうですが、世の中には言葉で表せない感情がたくさんあります。しかしそれは、日本語だけで生きていると気づかないものです。私たちは、自分の言語で表せるものでしか世の中を見ていません。逆を言えば、言語によって表現を抑えられているのです。

世界のことわざを調べると、その表現方法の意外さに驚くはずです。外国を見ることで、本来の表現の豊かさを初めて知ることができるのです。

私の別荘は、ずっと外れにある

例えば、ウクライナ語に上記のことわざがあります。このことわざは、「今会話の話題になっていることについて自分は良く知らないし、自分に関係もない」という意味です。つまり、遠い別荘=今の話と関係ない、ということを表しているのです。

ウクライナ人にとって、不必要に他人の情報に首を突っ込むのは良しとされていません。プライバシーを尊重するために、自分と関係のない話にはあまり関わらないようにしようという教訓なのです。

オオカミの口の中へ!

上記のことわざはイタリア語で、「がんばれ!」という意味です。オオカミという荒々しくも手ごわいハードルに対して、相手の背中をたたいて送り出すようなイメージです。オオカミの口に入ることは、不幸ではなく挑戦だと捉えられるのはやはりイタリア人的な考えがあるからなのかもしれません。我々も、オオカミの口の中に入るほどのハードルに比べれば、今の問題なんてマシだと思えるはずです。


このように、世界のことわざは意外な発見をもたらしてくれます。世界のことわざは子供と接しているときの感覚に近いかもしれません。自分の知らなかった着眼点で物事を見ることができます。今の世の中に退屈を感じていたり、行き詰まっている人は、一度外国人視点で世の中を眺めてみてはどうでしょうか?


参考:誰も知らない世界のことわざ エラ・フランシス・サンダース

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?