今こそ宗教二世三世の声を上げるべき!
統一教会報道の影響を受けてか、ここぞとばかりに宗教へのバッシングが高まっている。
バッシングについての私のスタンスは、このtweetの通りだ。
自分が無問題だと思っている宗教のあり方が暗黙裡にあって、それを基準に好き勝手にカルト批判しているけど、では、そこに神社本庁や靖国神社は含まれているのか。カトリックや福音派、イスラムはどう位置づけられているのか。おそらくそういうことをすっ飛ばして、批判したいものを批判している。
— 中田大悟 NAKATA Daigo (@dig_nkt_v2) July 20, 2022
そんな中、元創価学会職員の連載がUPされた。
この方は創価学会元理事長の息子で、中高大と創価の名がつく学校に通い、そのまま創価学会に就職した。その後転職し、今はライターとしても活動している。
転職活動に苦労した経験は、安倍元首相銃撃事件前にUPされている。その話はまた別の機会に。
この記事を読んだ学会員の反応は様々だ。
「このタイミングでこの記事を出すのは卑怯では……」という声も見られた。
確かにこの方の経歴は、一般の学会員とは少々異なる。しかし私は、このタイミングだからこそ、二世三世(学会だと四世五世もいるだろう)が声を上げるべきだと考える。
この方と同様、私も生まれてすぐが入会記念日である(生まれて1ヶ月後)。つまり、入会は私の意思で行われていない。この点は共通しているし、他の二世三世四世も同じような人が多いのではないだろうか。
私は家族から池田先生に関する話はほとんど聞いたことがない。うちはきっとそういう方針だったんだろう。
記事の中で、ライターが名前の由来を親に聞いた時に池田先生のことを教えられたとある。私の名も池田先生からもらったらしいが、それ以上のことは話されなかった。
ただ、創価大学に進学し、男子寮に3年住んだ観測範囲から言うと、家族や周りから色々教えられて育った人が少なくはないと感じる。
そうした学生たちの中では、創価学会に対して様々な思いを抱いている人たちがいる。嫌悪感や恨みを抱いている人、距離を取ってる人、熱心に語り行動する人、しょうがなく活動してる人……様々だった。
入会こそ親にさせられたが、私は自分自身で信仰を選びとったつもりだ。(以下の記事に詳述)https://note.com/hoyu1118/n/nfa10232e2f0b?magazine_key=m7983b72491bf
だから創価大学に進学したとき、嫌々ながら進学した同期たちを見て理解が全くできなかった。
嫌なら他の大学に行けばよかったでしょ?退会すればいいでしょ?
そんなふうに思ってた。でも話はそんな簡単ではないことに気づくのにそう時間はかからなかった。
自分みたいに、嫌なところは嫌!いいところはいい!とはっきり口外し、組織の中でやってけるのは例外中の例外なのだ。
それは自分のパーソナリティに依拠しているところが大きい。
普通の人は、周りと摩擦を生まないように上手く立ち回る。そうすると、嫌々ながらも退会せず、接触を避けて回る構図ができ上がる。そうすると、仕方なしに創価大学に進学する人が出てくるのだ。
まあ、偏差値の割に就職実績がいいから進んだという人も多いのだろうが。実際、教員の実績に惹かれて入学してきた非学会員のクラスメイトもいた。駅伝部の同期もいた。普通に馴染んでた。
ここまで私の観測範囲内で話を進めてきたが、宗教二世三世の問題は、「宗教と家族」の問題へと帰結する。
論じるとしても「宗教と家族」のほうがまだ適切な感じだし、その線で論じるにしてもわりと限界はある印象。
— 浅山太一 (@girugamera) July 17, 2022
この問題に関しては、集英社の回収事件が記憶に新しい。
宗教と家族の問題は相当根深い。
それは、「家の宗教で悩んでいる」という相談をしても、まともに取り合ってくれる相談先がないことにある。
これは、宗教二世以下略の信教の自由が保障される法律ができても状況は大して変わらないだろう。
ひとつは、相談先が作られないことには何も変わらないこと。これは人々が宗教や、宗教と家族の問題に対し、傾聴しない傾向も間違いなく影響している。
もうひとつは、既に教団側は二世以下略の信仰の自由に配慮しているからである。
創価学会では「強制させない」ことを紙面で繰り返し訴えている。実際、それがどこまでひとりひとりの会員に伝わっているかは難しいところだが。
しかし、それ以上の強制はできないであろう。
信教の自由に関わらず、日本では様々なことに対する自由が保障されている。しかし実態はどうか。法律の限界を感じてもらえるだろうか。
このtweetに帰結する。
統一教会の騒動に乗じてカルト批判に興じる人の多くは、自分が良いと思っている伝統宗教や古参の宗派を暗黙裡に是として他者に押し付けていることを自覚していない。自身の差別意識に無自覚であることに気づこうとはしない。
— 中田大悟 NAKATA Daigo (@dig_nkt_v2) July 20, 2022
人々が自身の差別意識に無自覚であるうちは、一時期のブームにしかなり得ないであろう。
だからこそ、二世三世は声を上げ続ける必要がある。
今回元創価学会職員の連載がUPされたが、知名度では郡を抜くものがある。こういう人が記事を上げてくれると助かる。内容はともかく、(声を上げていいんだ)という安心感はもたらされる。
加えて、声を上げるにしても、一方的な批判や礼賛ではなく、ある程度の客観性は必要であろう。
批判するところは批判する、いいところはいいと認める。結論ありきでは無く、ありのままの経験を記していく必要があると私は考える。
だから改めて、記し続けようと思った。