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トラップ
2024/11/7投稿
ほめです。
M.ナイト・シャマラン監督作品の中でもトップクラスに好きかもしれません。
シリアルキラーが追い詰められていくという状況と、娘にバレず良き父親を演じきるという2段構え。
足手まとい付きの脱出劇をベースに、劇中曲、歌が実際のライブとして行われており、クーパーの行動とリンクしていることもさることながら、何せ実際に会場にいるかのような体感がすごい。
多重の緊張感、緊迫感にさらされ、中盤に至るまでは非常に楽しめました。
ただ、その分後半の畳み掛けは失速した印象も受けます。
シャマランの娘こと、レディ・レイブンとのやり取りが主体となり、クーパー自身が言及した通り凡庸な結末に至るまでの流れが中だるみするのは、制限時間付きの脱出モノからの転換で、緊張感がなくなってしまうのが原因ではないでしょうか。
しかしながら、若干ご都合主義ではあるものの、知力と機転でピンチを切り抜けていくさまは正直肩入れしたくもなり、何食わぬ顔で日常に戻ってもらっても構わなかったなと。
終始ライブ会場でのクローズドな環境に限定した、密室からの脱出モノとしてもおもしろいでしょうし、成立したのではないかと。
それでもなお舞台を自宅に移したのは家族を大きく巻き込むためであり、非日常から日常に戻る中でこその違和感、トラブルを浮き彫りにするためでしょう。
パワーバランスの逆転と、観客にとってより身近な恐怖につながる場面転換です。
その中で、スターでありながらあまりにも無謀なヒロインであったレディ・レイブンですが、ブッチャーとしてのクーパーは彼女との対決に負けたといえます。
そしてなにより、タイトルであるトラップを仕掛けたのは他ならぬ妻であるレイチェル、彼女の行動がこの一大事を巻き起こしました。
理解していたのは母のみならず、自らの夫をシリアルキラーかもと通報するにはそれなりの思い切りが必要になるのですから。
そう考えれば、本丸のクーパー自身は彼女に仕留められたということでしょうか。
シャマラン作品は設定が思考実験かのような作品が多い印象を受けます。
どこかロジカルで記号化されたキャラクター造形で、人間味が薄く感じることも。
いじめを受けていたり、幼い頃に虐待されていたりと、またこのバックボーンかと思うこともしばしば。
本作もご多分に漏れずクーパーの感情面や人格についてはありきたりなのですが、とはいえ理想の父親像と冷静な判断力の両立は良きヴィランだなと。
その分、冷静でなくなった途端に三下の悪役のように変貌してしまうのですから、よくできています。
また、ミスリードやどんでん返しがことさら強調される作家性ですが、近年はその辺りが落ち着いてきて円熟味を増し、良作が増えてきたようにも。
ラストの笑顔に、思わずこちらもにっこりして終わる。
同じ笑顔のアップでも、PEARLの締め方とは大違い。
まだまだいけるぞ、というある意味での希望に満ちた誘い笑いであり、きれいな幕引きでした。
応援したくなるヴィランって、魅力があるということの証左なんですよね。