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フェラーリ

2024/7/18

どちらかといえばほめです。
伝記映画ではあるものの、なんともドラマ仕立てであり、エンツォ・フェラーリという個人、会社に起きた事実をエンタメとして切り取る。
フェラーリのみならず、マセラティ、フィアット、フォードといった、現在でも残り続ける一大メーカーのそうそうたる顔ぶれ、実在の人物たち。
史実が、演出、音楽、構成でフィクションの様相を呈する。
マイケル・マン監督が製作総指揮であったフォードvsフェラーリも念頭におきつつ、一個人の悩みも苦しみも、情熱の2文字の前には些細な事として描かれる。
聖体拝領と並行して行われるタイム計測は、信仰との交じり具合が秀逸だなと思いましたし、ミッレミリアにおける景観の移り変わりは目に楽しい。
磨かれた車体、スピード、エンジン音は妙に気持ちを高揚させる効果があります。

走りたい、走らせたいという事に取り憑かれてしまっている。
もはや他の選択肢などなく、不要なものはすべて切り捨てているかと思いきや、家族、後継といった人の営みに苦悩する。
この映画で描かれるエンツォ・フェラーリという人は、技術者というよりも経営者。
しかも、金勘定が得意ではないタイプ。
この視点で、1957年当時のフェラーリを取り巻くプライベートと、関係者同士のいざこざに終始している本作。
対象の日常に焦点をあて、エンタメ要素を加えるとフィクションとして成立する点において、人間の生き様、歴史は物語たり得るのだなと感心します。
伝記物の面白さですね。

常に怒り、そして悲しみに支配されているラウラ。
彼女の表情、言動は鬼気迫るものがあり、本作の印象をグッと引き締める。
その中にわずかばかりの愛情の残滓が見え隠れするのだから、1番心惹かれたキャラクターだったように思う。

クライマックスでは、タイヤの状態に加え、唐突に差し込まれる関係ない一般家庭の食事風景が印象深い。
あの時点で、直後の大クラッシュを予想させる構成、見せ方はあまりにも上手すぎませんか。

「心に壁を作るべきだ」
「走るために売る」
「うまくいくものは見た目も美しい」
といった、自身のあり様を明確に言語化するエンツォと、
「私が出ていくと思ったの?」
という、めちゃくちゃ刺さる言葉を放つラウラ。
破綻はしているものの、それだけではないという実感がありました。
オペラで有りし日の風景がそれぞれに蘇る一幕、良かったですよね。


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