ミッシング
2024/6/6
ほめです。
「共感」という言葉が軽々しく使えなくなる、そんな映画でした。
苦しく、やりきれず、辛い。
感情移入しているつもりでも、それは本当に理解していることにはならないのでは、と突き放される。
とくに人の悪意を受ける側の視点に立つと、世界はなんて醜悪さに満ちているのだろうか、と。
全編を通して、石原さとみの圧。それに尽きます。
感情の推移やちょっとした会話、きっかけに対しての細かい表情変化。
なにより、要所々々での顔の崩れ方。
正直どうかしているとしか表現できないのですが、改めて”演じる”ってすごいことなんですよね。
また、不破が放った例の一言。
あまりにもひどいタイミングで血の気が引いたのですが、
正直自分自身全く同じことを考えてしまったのです。
あのはしごの外し方は脚本の妙であり、いい意味で悪趣味と言わざるをえません。
そして、事実を事実のまま報道することなど、本来的にできないということ。
人の手が入る以上、そこには何かしら恣意的なものが介在する。
娘が助かる見込みを上っ面でしか考えてないことに気づいたとき、言葉にならなかった砂田。
ある意味誠実であり、悪の中にある異分子ともいえます。
TV局の人間や、SNSでの顔の見えない誹謗中傷は徹底的に露悪的な形で描かれています。
これは現実でも同様で、切り取り方次第では特別なものではありません。
その事実がおもしろいんだよ、というセリフはこれ以上ないほどに真実ですよね。
知らずのうちに我々も加担している側面があることを忘れてはなりません。
身につまされるという点において、誰しもに鑑賞してもらい自らを振り返ってほしいとさえ感じます。
どこまでも他者は他者、思考や感情を完全には理解できません。
かわいそう、つらそうと思ったところで当人の救いにはならず、かえってそれが攻撃にすらなってしまう。
どうすれば自身を守れるのか、社会性を保つことができるのか。
絶対に馬鹿にはできない、でも第三者にはどう転んでも他人ごとでしかない。
寄り添うこと、思いやること、それしかないのではないか。
鑑賞後はそのことばかり考えています。
一から十まで胸が詰まる、でも最後の1カットだけ、ちょっとだけ息がつける。
あの唇を震わす様だけが、わずかばかり心を軽くしたのです。
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