ナミビアの砂漠
2024/09/26投稿
ほめです。
前半の恋愛における疾走感、そして小気味良いタイトル以降の倦怠感や暴力性、虐待とも取れる支配欲の対比は苦しい。
とはいえカナとハヤシの間で成り立つ関係性は、ある意味釣り合っているのでしょう。
しかしながら、ここまでの尺が必要だったかという疑問もあります。
行き場のない、解決もしない感情が多すぎて、ちょっと胸焼けします。
同棲を始めてから一転して、主に癇癪と暴力が描かれます。
その内容自体も理知的なものではなく、カナの感情のストレートな発露であり、理路整然とはしていません。
一方、ハヤシも自身の思考を論理的に説明出来ない為、問題の解消方法が取っ組み合いに帰着するのは悲しくもあり、健全なのやもと。
なんともスマートではないコミュニケーションですが、二人の間で成立した着地点なのであれば、それはアリなのでしょう。
殴る、蹴るといった行為が流血沙汰にまでならない辺りが、ギリギリ見てられるポイントです。
消化できない怒りの矛先、という互いの立ち位置。
そして、あの特徴的な歩き方や走り方が、カナの生きづらさと比例して描かれなくなることは理解しやすい。
あれだけ躍動的であったのに、トレッドミルに行き着いてしまうという能動から受動への変化。
ファンタジー風の要素は内面の具象化で、その点では意外と客観視できているのだなと。
まさに、「その頭次第だね、全部」とは言いえて妙です。
異様に解像度の高い、パートナーのコミュニティにおける疎外描写も白眉で、飲み物ばかり手に取る様子は本当に痛々しい。
冒頭のしょうもない会話の方に気を取られるシーンも好きです。
カナにしろハヤシにしろ、根本的に自己本位かつ自己愛が強いキャラクター。
思いやり、献身といった行動が身についているわけではないので、労力とのトレードオフに不満を募らせますし、カナはその支配性により相手を言いなりにする術に長けています。
元彼となるホンダがまさにその支配下にあり、パワーバランスが明らかにおかしい。
そしてこの男性二人に共通しているのが、本人は一見ロジカルであろうとしているものの、対等であるための言葉、意思疎通の方法を知らないということ。
威圧や暴力に屈し、反射的に「ごめんなさい」という言葉が頻発しますし、裏を返せば「ありがとう」という言葉は劇中ほぼありませんでした。
共同生活としては成り立っていないのです。
食にまつわる描写の数々も、カナの人となりをよく表しています。
何を食べたいかという点が重視され、その変化がQOLに直結する。
ストレスの発露も食事にまつわり、ハヤシとの歩み寄りも食事中に訪れる。
誰かと何かを食べるということの連帯感に、勝るものはないかもしれません。
私と、私の生活と。
砂漠のオアシス、そこに集う獣。
それは自身をそう感じているということのメタファーでしょうか。
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