シビルウォー アメリカ最後の日
2024/10/17投稿
ほめです。
自分なら、どういう選択をするのか。
法が機能しなくなれば、人間社会はこうまでも野蛮で粗悪なものに成り下がるのか。
もしも、という思考実験が見せるやだみにおいて、切り口は違うが「ニューオーダー」のディストピア感も連想する。
あちらは社会が変貌した末に人間がいかに醜悪となりうるかが強烈だったが、本作はそのような状況下でどういった選択をするのかという部分に焦点が当たっている。
そのため、起きてしまったことへの良し悪しは語られておらず、徹頭徹尾記者としての視点、ありのままの現実をどう切り取るかの是非を問うている。
当然その眼差しは観客へフィードバックされ、我が身の回りで同じことが起きたならば、という想像をせざるを得ない。
ペイントや髪、メガネのカラフルさがシークエンスごとに示されていたのも、ロードムービーにおける明確なポイントという意味で理解しやすくもあった。
ジャーナリズムの名の下、一線を越えてしまった人間の集いであり、旅の仲間もラストをたやすく予期させる構成。
ほぼ予定調和といっていい展開を見せ、その事自体に衝撃はない。さもありなん。
それでも秀逸と感じたのはきっちり覚悟を決めていたものと、そうでなかったものの差が明確に出た部分。
一瞥だけにとどめ、感情を殺して目的を完遂したジェシー。
利害を超えた女性同士の友情や、師弟関係のようなもので結ばれていたリーを捨て置いたことで、はっきりと見せつけた。
あの、人としてどうかと思える行動が取れるか否かが、求めるものにたどり着く道程なのかもしれない。
その点、リー自身はサミーの不在以降、まったく適応できなくなってしまった。
自身が念頭に置いていたはずの、質問はせず記録に徹底できない時、何が起きるのか。
狂気よりも人間性が勝ってしまったことで、本来であればらしくない行動を取ってしまう。
しかしながら、それこそ本作における一番の問いではないだろうか。
その選択は避難される類のものでは決してなく、我々が模範とすべき人間性そのものではないのか。
エンドロールに至る画像も、あのような光景が勝利の象徴として扱われていいものか、とはっきり問いかけてくる。
対立が生む内戦、”国”だからといって一致団結しているわけでもなく、武力行使されればいとも容易く現実のものになりうる。
それを起こさない、やらせない為に必要なことは何か。
あまりにも象徴的に扱われているジェシー・プレモンスが演じた赤サングラスにも言及したい。
まさに色眼鏡で見るを地で行くキャラクターであり、多民族国家ならではの問いかけを行う。
彼がどちらに与しているかも、思想もわからないが、選択をミスると死という状況は理不尽でキツイ。
あんなものは単に運でしかなく、たまたま切り抜けた奴もいれば、そうでない奴も。
なんとも緊張感がすごかった。
時が経つにつれ、忘れてしまう過去なのか、覚えている過去なのか。
それすら主観において多種多様。
暴力と興奮、娯楽と使命感。
そこに命の躍動を感じてしまうのも人であり、関わりたくないと願うのもまた人で。
もしも、もしも、もしも。
自分なら何を考えるのか、どう行動するのか。
色んな意味での問いかけが余韻として残る。
関連情報
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?