雑記 #21

今年もまた、くるりの「東京」を聴いている。春に染み込んだ音楽たちが、土に埋もれていた思い出の種を芽吹かせるように、分岐したいつかの明日を想わせる。今日にも昨日にもなれなかった、いつかの、いくつかの明日たち。きっともう逢うことはないはずの、形にならなかった可能性たち。空間次元ではなく、時間次元でのバタフライエフェクト。思い出は、思い出せるまでは思い出にならない。今僕が生きているということは、なんて、全肯定してはやれないけれど、この終わりと始まりの季節に、終わっていった今までを、始まってくるこれからに重ねてしまう。今に後悔なんてない、とも言えないけど、後悔を積み重ねた先にそれなりに愛してやれる今がある。そんな今を切り取ろうと思うと、日付はやっぱり春。

昨日の雨のせいか、疾うに枯れたはずの用水路に細い水の流れが出来ていた。流れが生き返った訳じゃあない。死んだ肉体に外付けのポンプで血液だけ循環させたとて、そこに命はないのだから。だけど何だかその形ばかりの再生に少し心が高揚した。不当な法規を不法投棄して、なんてただの言葉遊びだ。

珍しく、父と2人の昼食だった。近所の中華屋で、酸辣湯麺を頼む。酸辣湯麺は噎せ返る程に酢が効いてるやつが好き。だからお酢を添えて提供してくれるお店はとても好き。この店はそうではないし、テーブルにも酢が置かれていないから少しがっかりするけど、メニューから酸辣湯麺を選べること自体がありがたいので大目に見る。とろみがかったスープを情けない猫舌で味見して、急いで麺を啜る。あまり酢はキツくない。味は悪くないけど、後味が物足りない。5点満点の口コミサイトで平均評価3.6点の映画みたいな味。何故こんな毒にも薬にもならない食リポを書いているかって、父と2人で碌な会話を続けられなかった自分への戒めのためだ。父も僕も元々口数の多い方じゃないけれど、上手に話せない自分がなんか嫌だった。それでも僕の話し方はとても父に似ている。会話をしている時間は母の方が長いはずなのに、特に困ったり、考えながら話している時の間の取り方が、僕と父はそっくりだ。器用なんだか不器用なんだか分からない父。僕の半分はこの人からもらった。

到底3月とは程遠い気温で、今日は雪まで降った。寒の戻りなんて言葉は確かにあるが、これではいつまで経っても冬物を仕舞えない。なんて口では言ってみるけど、しばらく着られなくなるであろう冬服を着て出掛けられる最後かもしれないチャンスに少し喜びを覚えたりする。身体には決して優しくないが。働き始めたら、今日は気圧が低くて身体がついていかないから、なんて理由で遅刻もできなくなるのだ。モラトリアムの終わりをこんなところにも見る。生活の端々に滲む、無理を重ねたツケの血が、真新しい制服を汚さないでくれることを祈りながら。明日は大学の卒業式がある。らしい。出欠確認のアンケートが来て、僕は迷わず欠席で提出した。最後まで好きになれなかったけど、幸い会いたい連中とは偶に会えている。それでも、出来ればちゃんと好きになって、イニシエーションとしての卒業式を真っ当に迎えられるだけの思い出を重ねられればよかったとも同時に思う。もし出席する気があったら、どんな服を着ていただろうか、なんてことに思いを馳せて、冷たいつま先をすり合わせながら布団の中、秒速5cm、舞い落ちる花びらヒラヒラ、それじゃダメじゃん、瞬間センチメンタル。

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