猫背

見つけたら合図をください

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    日常の吸殻。ここは灰皿

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    実力派俳優は嘘つきでしょうか? 口八丁がお好みなら、ここが口内八丁目です。

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    ここは踊り場。昇ってきたのか降ってきたのかは分かりません。

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3月11日のRADWIMPS

はじめに2021年3月11日をもって我々は、現代では東日本大震災と呼ばれる、あの震災から10年の節目を迎えた。その事にまつわる僕個人のあらゆる感情や考えをこの場で語るつもりはないが、僕はこの10年間に渡る時の流れの中で、この震災を、あの日以来 被災地と呼ばれることとなった 福島をはじめとする東北の各地を、そこに生きた・生きる人々を、そして何よりも、未曾有の天災によって炙り出されたこの国や世界の姿を、真っ直ぐに見つめ続けたバンドを知っている。RADWIMPSである。 RADW

    • medicine

      必要な物を守るために必要なエネルギーはとても膨大で、大切だと思っていたものの幾つかを簡単に手放すことが出来る自分の薄情さに改めて気が滅入る。必要さと大切さは少し違っていて、僕には「大切」より「必要」の方が「大切」で「必要」だったらしい。 年々、自分の中にあるものの形を遺すことに向き合えなくなりつつある。いずれ消え去る自分の存在、その行く末に目を向けるとどうにも、芥程の残り香すらひどく醜いものに思えて仕方ない。分相応の散り際を弁えると、何者かに成りたかった、或いは何者かで在り

      • ゆめうつつ

        書出せば書き足すほど、書き足りないような気になるのはきっと、吐き出した胃の中身で咽を焼いたあの夏のぬるい水道水が、煙で喉を灼いたあの夜のキスが、死ぬよりも満たされて、生きるよりも欠けていたのときっと変わらないのだね

        • マーマレード

          こんなプラットフォームに居ることが何よりの証左ではあるのだけど、僕はそれなりに自分の話をする。している。はずだ。はずなのに、いつも何処か、自分の感情が吹き溜まった名も無き臓器の上に閉塞感を憶えている。「それじゃあ今日はなんでも聞くよ、話してご覧?」なんて言われてみても、上手く言葉は出てこない。話したいことは見つからない。だってそれなりに話しているから。臭いものに蓋をすれば、壺の底で臭気は強さを増していく。黴臭いエアコンの冷風を、埃臭い扇風機の風でかき回す。きな臭いネットニュー

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        3月11日のRADWIMPS

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          AとBと8ビート

          顔も名前も知らない誰かから賞賛された文才、勝算枯れた分際で何を今更。どうかしてる、度を越してる、道化してる、同化してる。幸か不幸か、硬貨拭こうが、身から出た錆程度のことで相場は価値を落とさない。AとBとを済ませたら、Cのリズムは8ビート、それさえ守ればそうは勝ちは落とさない。 先日24歳になった。何が変わるわけでもないのだけど、お約束のように自分の人生を形式的に振り返ってみるなどしたところ、僕は僕の人生において、他人の介入で何かが大きく変わったという経験が乏しいと思った。な

          AとBと8ビート

          表面張力

          別に誰かから興味を持たれたいとも思わないし、寧ろ過剰に興味を示されると引いちゃうタチなのですが、興味を失われるというのもまた言い様のない虚しさがあるなあ、などと思った26時20分。 先日初任給が入った。たった1ヶ月の成果だけど、自分のやった仕事が認められたようで少し嬉しかった。遊ぶためのバイトとは違う、自分が生きていくためのお金を稼ぐ感覚。僕はもう社会人なので迷わずミラノ風ドリアに半熟卵を乗せられるし、晩酌の肴のためにスーパーに行って材料を揃えてわざわざ一品作れるし、そのつ

          表面張力

          言葉

          日々の罅 微々たる機微 君が"善い人"だなんて、気味が悪いと思った  言葉が好き。言葉なんて人を映す数多ある要素のひとつに過ぎないけど、言葉だけを繕って心が伽藍堂の人は、やっぱりその言葉に触れるとどこか違いが分かるものだ。言葉の裏には常に心があるけど、心の表に言葉が必ずしも浮かび上がるというわけではないし、そもそも感情の数に対して、辞書にあるものを掻き集めたとて言葉の数はひどく少ない。だからこそ、限られた言葉の中で、限りない心の内を表そうとするその営みに尊さを憶えるし、その

          舌の根も乾かぬうちに

          いつか、自己嫌悪と悋気の不快感が臟を撫でた日の夜。吐き出す胃液でさえも、苦々しい後味の喉と二枚舌を洗ってくれるように思えた時の私。私多分、傷つけるでも傷つけられるでもなく、被害者、加害者でもなくて、ただ貴方と共犯者になりたかったのだと気づいた。

          舌の根も乾かぬうちに

          ままならない

          パーマを当てた。ポンペイ展にも行った。バイトも終わったし、大学の卒業式も(欠席したけど)もう過ぎた。モラトリアムの甘い汁は疾うに意地汚くしゃぶり尽くして、今の生活は差し詰めただの吸殻の様。こんな時にでも腹が立つ出来事が幾つか起きて、どうにもスッキリしない心持ちのまま残りの日々を過ごしています。 生きづらさを抱えている人が、その生きづらさを餌にして、名も知らぬ誰かからの哀れみを求める。別に否定する気にもならないけど、それができるならあんたは充分上手に生きてるだろって思う。いつ

          ままならない

          雑記 #21

          今年もまた、くるりの「東京」を聴いている。春に染み込んだ音楽たちが、土に埋もれていた思い出の種を芽吹かせるように、分岐したいつかの明日を想わせる。今日にも昨日にもなれなかった、いつかの、いくつかの明日たち。きっともう逢うことはないはずの、形にならなかった可能性たち。空間次元ではなく、時間次元でのバタフライエフェクト。思い出は、思い出せるまでは思い出にならない。今僕が生きているということは、なんて、全肯定してはやれないけれど、この終わりと始まりの季節に、終わっていった今までを、

          雑記 #21

          私信

          もう何処にも行けないと思う日が少なくない。そもそも此処まで辿り着いたことだって、そうしようとしてこうなったわけではないのだ。大真面目に自分は20歳まで生きていられないだろうと考えていた10歳前後の僕へ、あなたはもう残り数ヶ月で24歳になります。来年の話をすると鬼が笑うというけど、たかが来週の話すら、しようものなら頭の中の悪魔に嗤われてきた僕だ。地図なんてありやしない。一寸先の闇に石橋を架けて、それを叩き、踏みつけて尚、渡ることが躊躇われるような日々を、それでもただ生きてきた。

          泡銭

          就活を終えました。報告です。 二束三文にしかならない凡庸な才能をそれでも愛するという曲。僕からしたらどうしようもない天才が遺す言葉。才能に恵まれて、どれだけ美しい、凄まじい物を生み出す人でも、愛される才能、或いは、評価される才能が足りなければきっと埋もれて掠れてしまう。僕はゴッホじゃやなんだ!と叫んだ孤高の天才も、言うまでもなくゴッホ自身も、愛され方を知らずに、それでも愛して生きた。「君は誰かに下で使われるタイプじゃないよ。上に立つべき。起業でもしたらいい、きっと成功する」

          極彩色の黒

          花言葉に興味を持ってから、花を好きになった。何でもない日に花を買って帰ってみたり、道端の雑草や駅前の花壇に目を向けることも増えた。花を愛でる文化がある国に生まれたこと、或いは、季節が移ろい、その時々の花を直に見られる国に生きていること。和食が世界的に珍しいのは、その季節ごとに旬を迎える多種多様な食材を織り交ぜた食事体系であるということが少なからず影響していると思うが(勿論見た目の美しさやヘルシーなことも重大な要素だけど、それも"旬"という概念で説明できそう)、野菜や魚に旬があ

          極彩色の黒

          君の膵臓をたべたくない

          多分、やろうと思えば"誰からも愛される文章"だって、それほど労せずに書けると思う。強がりや負け犬の遠吠えの類ではなくて、客観的に自分をそう思う。僕は多分昔から、そういう勘が鋭くて、そういう勘の鋭さが僕の首を緩やかに絞め続けているのだ。きっと今も。そしてそれについて思いを馳せるとき、僕はなんとなくMOROHAが「MOROHA」と名乗っている意味を肌で感じる。剥き出しの刀身を時に我が身に受けても、その刀を抜かなければ届かない鋒に、きっと彼らの愛すべき、そして断ち切るべきしがらみが

          君の膵臓をたべたくない

          春一番、その風穴

          今年もまた二月が来た。二月の空気には、どことなく終わりの気配が滲んで、溶けているように感じる。短い秋が終わって、紅葉した木の葉が木枯らしに絡め取られて落ちていく、冬がはじまろうとする十一月にも同じ様な事を思うのだけど、二月は冬が終わって春になろうという季節である筈なのに、この儚さは二月の短さがそうさせるのだろうか。終わりの気配は、死の匂いだ。或いは、離別の兆しだ。そして困ったことに、その気配を背中に感じながら、僕はそれほど嫌な気がしていないのだ。赤信号を無視した春一番が交差点

          春一番、その風穴

          phobia

          生きるのが下手くそな僕らには定番の命題、「何のために生きているのか」。これに一丁前に不幸ヅラして「死ぬためだよ」って答えてるアイツの事が心底嫌いだった。僕から言わせりゃ「死ぬ」ことはただ「生きる」先にある結果だ。目的を問われて結果を答えてるようじゃ問答が成立していない。これが例えば「美しく死ぬため」とかならわかるけど。僕もどうせ死ぬなら美しく死にたいし。 この世に生を受けた瞬間から大抵の生物の致死率は100%だ。どんな聖人も、為政者も、殺人者も、例外なく死ぬ。その事に酷い絶望