phobia

生きるのが下手くそな僕らには定番の命題、「何のために生きているのか」。これに一丁前に不幸ヅラして「死ぬためだよ」って答えてるアイツの事が心底嫌いだった。僕から言わせりゃ「死ぬ」ことはただ「生きる」先にある結果だ。目的を問われて結果を答えてるようじゃ問答が成立していない。これが例えば「美しく死ぬため」とかならわかるけど。僕もどうせ死ぬなら美しく死にたいし。
この世に生を受けた瞬間から大抵の生物の致死率は100%だ。どんな聖人も、為政者も、殺人者も、例外なく死ぬ。その事に酷い絶望を憶える夜もあれば、どこか安心して眠りにつける夜もあって、23年も生きて未だにこんなことで頭を悩ませてる自分は心底出来損ないだと思うけど、僕は死ぬ事が怖いし、生きていくことも怖い。
漫画やアニメ、フィクションの類の中ではよく「恐怖を飼い慣らす」ことを説くキャラクターが登場するかと思うが、僕の思う恐怖の最も怖い部分は飼い慣らせないということだ。理性で制御出来ない。だから怖い。それこそが怖い。言うなれば「恐怖」することそのものが怖い。"恐怖"恐怖症なのだ。ともすれば克服する方が簡単なのではとさえ思う。初めから怖いと感じなければ恐るるに足らないけど、怖いと感じた上で手網を握り続けるなんて土台無理に思えてならない。僕は美しく生きたい。だから醜く死ぬのが怖い。僕は美しく死にたい。だから醜く生きるのが怖い。

僕はどういう人なんだろうと考えている。僕はどういう人だと思われているのだろうとまた考える。僕は多分、変わった人だとよく思われている。捻くれ者だとか、斜に構えていると言われることもある。僕は普通の人が普通にすることを出来なくて、仕方なしに自分なりの代替行為でその解れや破けを継ぎ接ぎして何とかやってくるしかなかっただけの、ただの下手くそなのだけど。教わった"普通"に普通に納得することができなくて、自分なりに納得できる折り合いを精一杯つけ続けてきた出来損ないなのだけど。僕が何とか真っ直ぐ立とうと足掻いてきたこの世界の地表は歪んでいて、真っ直ぐ立ったつもりでいた岩盤が"普通"のそれより斜度を持っていただけだと思うのだけど。そうじゃなくなって、地球が丸いことなんて、アポロ11号が月に行くよりも早く分かってたことだろうにね。

今日はいつにも増して自分の話ばかりしてしまったな。どっどど どどうど どどうど どどう。雨風の吹き荒ぶ音が雨戸を介して聞こえてくる。ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニワタシハナリタイ。僕はよだかの星が好きです。そういうものに、わたしはなれるでしょうか。僕はどういう人なのか、知ってる人は教えてください。

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