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家族を大切に思えない、愛せない。恨んでいないだけ、いいよね。

こんにちは〜

今回は私の家族への想いについて。

私は家族を心から大切に、そして愛することができないのだな、とようやくこの歳になって悟ったというか、そこに落ち着きましたって話です。


家族を大切に思えない、愛せない。

世間一般で言ったら「家族は大切にすべき」「家族は大切なものだ」と思うんです。

それはわかっているのだけど、世間のそれらの考え方に、私はどうしても到達できない。

もちろん家族は "他人に比べたら" 大切ですし、何か緊急事態があったらすぐに駆けつけます。ある程度だったら手伝いとか支えようとも思っていますし、気持ち的にも心配はしたりします。

でもそれは、親や家族で過ごしてきた期間が長いから。情ってのも関係していると思います。

家族、愛してますか?

って聞かれたら、愛してますとは即答できない。

消せない過去があるし思い出してしまう過去がある。私だって迷惑かけてきたし、家族を悪者にしたいわけじゃない。

うちは家庭環境がひどい時期があって、やっぱりその関係で、今仲良くなろうとされても抵抗があるのです。

家族全員に対して、「あ、やっぱりこれは他人と思わないとダメだ」と思いたくなることが多々あるのです。

いつになっても人を心から愛せなかったり、人への愛情表現や人との遠すぎる距離感、"家族を大切にと思えないことと世間での普通とのギャップに勝手に苦しむ" など、ずっとモヤモヤしてきました。

私なんぞの過去は軽いもんで、もっと苦労している大人は大勢いるだろうし、声に出していないだけ、と思う。

(ただ、これを当事者本人が「私は幼少期親に〜」とか言っちゃうと、おいおい・・と思われてしまうのが辛いところ)

ただ、良いこともあります。

私はあの頃に "親は頼れない存在だ"と、幼いながらに悟っていたのだけど、でもそのおかげで自立はできてたと思うし、そこはある意味感謝の面もちょっとある。

血縁だけど、自分とは違う人間。他人と思うと気持ちがちょっと楽になる。

そうそう。これが言いたい。

冷酷に聞こえるかもしれないけど、いくら血縁であっても、血縁でなくて家族であっても、

他人、と思うのです。

そう思うことで私は気持ちが少し楽になる。なぜなら家族を大切にしないといけないという苦しみからちょっと抜け出せる気がするから。

世間では、家族は他人じゃない。戸籍云々っていうしがらみもあるし。

でも自分の気持ちの中では他人と思っていれば、例え世間の普通とのギャップがあってもちょっと気が楽になる。

まあ、気の持ちようってやつです。

私は親の分身でも、兄弟の分身でもなく。全く別の人間だという考えです。兄弟でも。遺伝子的に顔や性格が似ていることはあっても、別の人間。

やっぱり理解できないし、ふとした瞬間に過去を思い出して辛い。


私なんぞの考えって、家族を大切にしている人からしたら、なんて冷たい人間なんだとか思われるかもしれない。

でもいいんです、私にとっては「家族なんだから」というしがらみを感じる方が辛いのです。

他人と考えると、心が少し楽になるのです。


「親を大切に」、「家族を大切に」を人に押し付けてはいけないよね

以前に、知り合いに「私はお盆でも正月でも実家に帰らない、帰りたいと思ったら帰る」と言ったら「たまには帰ってあげて」と言われたことがあります。

わかる。そう言いたい気持ちも理解できるし、それが普通です。

でも「帰ってあげて」って言葉が「家族なんだから」という気持ちが見え隠れしてしまって、同時に「帰らない私は冷酷なのか」と自己否定に陥りそうになったことがあります。

人の言葉に敏感になりすぎですね、ハハ;

これくらいの言葉なら大したことないのですが、家族を大切にしないといけないという考えが一部の人間を苦しめていることにも気づいて欲しい、と思う場面はちらほら見かけます。

いろんな家庭があって、いろんな家族の人生がある。

「家族・・・?」と家族そのものに疑問を感じる人だっているんですよね。

家族は自分を待ってくれている場所、居場所、そう思う人もいれば、真逆の人もいる。

血縁だけど、愛せない人だっている。大切に想えない人だっている。

究極、私はこう思うようにしています。

「家族を恨んでいないだけマシじゃんか」って。

それに、笑い合ってた時間だってあるし、長年育ててくれたしお金かけてくれたのは感謝していますし。

ただ、もっともっと家族の数だけ事情があるってのが浸透する世の中だったら良いよね、とは思っています。

なんか重い話になってもうた〜 ま、いっか。

今日はこの辺で〜

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