主夫になってよかったこと「妻の話をよく聞くようになった」
主夫生活も2年経過したので、主夫になってよかったと感じることについてまとめてみたい。
昨日は「料理」についてとりあげたが、今回は「妻の話をよく聞くようになった」ことについて。
ある日、ブログ記事を書くのに、ネタに困っていた。
なので、その日の出来事を紙に書き出していた。
そのとき「今朝、妻と一緒に朝ごはんを食べているときに、妻はなにについて話していただろう?」という問いが頭に浮かんだ。
そして「...」、驚いたことに、何ひとつ頭にうかばない。
さらに悪いことに、他のことも思い出せなかった。
「妻」について知っていることを書き出そうとしてみると、妻が好きな食べ物や好きな場所といった好きなもの、そして反対に嫌いなものについて、まったく思いつかなかった。
やっとの思いでひねりだしても、たったの数個ほど。
「もしかしたら、妻に対して興味がなさすぎるのでは?」と思ってしまった。
『話を聞かない男、地図が読めない女』という本の例にもれず、ぼくは人の話どころか、妻の話をほとんど聞いていないことが判明した。
そこで、妻と会話をしているときの自分自身を、よく観察してみることにした。
すると分かったのが、妻と会話をしているとき、妻の目を見て話していないこと。
そして、妻がなにか言っても、「うん」「へ~」「なるほど」「そうなの?」といった返答しかしてなかった。
どれも無意識に行っており、話の内容もほとんど聞き流していた。
特に、妻のほうを向いて話を聞いている風のときは、妻の目をみているというよりは、顔全体、そして、背景もふくめた全体をぼんやりと眺めていた。
そして実際は、頭のなかで他のことを考えることに集中していた。
たしかに「人の話を真によく聞く」アクティブリスニングは、とても難しいものだと思う。
しかし、今ふりかえってみると、妻との会話の態度は「一体何様だ?」と自分自身にたいして思う。
もしかすると、身近なものの大切さに、ぼくのような凡人は気づきにくいのかもしれない。
逆に天才と呼ばれている人は、身近なものへの観察力が優れており、解像度も高いように思える。
たとえば映画監督の宮崎駿氏は、散歩しているときの観察からアイディアを得る、とドキュメンタリーの中で語っていた。
また、「宮崎作品に登場するキャラクターには、なぜリアリティがあるのか?半径3メートル以内にいる人たち、実在する人たちをモデルにしているからなんです。」とジブリの鈴木敏夫氏が語っていることからも、「身近なものから発想する」ことを大切にしていることが分かる。
身近なものへの観察のチャンスを逃すのは、非常にもったいないものなのだ。
たしかに、毎日話している妻との会話に含まれるアイディアを蓄積すると、すごい数になりそうだ。
もちろん、ぼく自身、妻のことをもっと大切にしたいし、それゆえにもっと理解したいと思った。
そこで、毎日「妻日記」をつけることにした。
その日に妻と話した内容を書きだし、別途、「妻の好き嫌い」についてまとめることにした。
この日記をつけると、妻と話した内容を覚えていられることが多くなった。
結婚をすると、自分の考えに妻も同意してくれるだろう、以心伝心で伝わるだろう、と勝手に思っている自分がいた。
そもそも妻は他人だ。
自分とは大きく異なっていて当然だ。
ぼくには、そんな大前提に立ち変えることが必要だった。
妻とは、自分とは違う人間で、自分と一緒に暮らすことに同意してくれた人で、自分にとってかけがえのない人だ。
主夫になって、あらためてそんなことを考える余裕を持てた。
仕事をしているときは、二人の時間を大切にするよりも、「仕事で疲れているのだから、放っておいてくれ」という態度だった。
もしも仕事を続けていたら、その態度が改善されることはなかっただろう。
そうなっていたら、もしかしたら離婚という結末を迎えていたかもしれない。
(仕事をしているときは、2回ほど離婚の危機があった。)
妻の話を目を見てしっかりと聞くことの大切さ、夫婦の時間の重要さを、主夫になって学ぶことができてよかったと思う。