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隠れて生きよ!? 古代ギリシャの哲学者・エピクロスに学ぶ幸せのあり方

エピクロスをご存じでしょうか?

世界史や、倫理の授業で聞いたことがあるかもしれません。

ぼくは『史上最強の哲学入門』を読んでから、一気にエピクロス派になりました。

エピクロスは、古代ギリシャの哲学者。(紀元前341年 – 紀元前270)

彼は、「幸福」を人生の目的におきました。

いまでは当たり前に聞こえるかもしれませんが、ストイックの語源にもなったストア派は「徳」を人生の目的においていました。

今回はそんなエピクロスについて、3つの視点からご紹介します。


1. 幸せとは?

エピクロスにとって、幸せには二つの要素があります。

1つは「肉体的苦痛がないこと」

エピクロスは、「飢え、渇き、寒さ、暑さ」といった体の苦痛を避けることが、幸福の基礎になると考えました。

2つ目は、「心の平穏」です。

彼は、物質的な豊かさよりも、心の平静を大切にするべきだと説きました。

そして、追及すべき欲求として、「自然かつ必須な欲求」のみを追求すべきと語りました。

具体的には、友情、健康、食事、衣服、住居といったものがあてはまります。

逆に、大邸宅、豪華な食事、贅沢な生活は必須ではないので不要な欲求。

そして、名声、権力もまた、不自然な欲求となります。

「自然かつ必須な欲求」のみを追求し、苦痛や恐怖を避ける生活を送ることで、「心の平穏」を得ることが大切です。

2. 快楽主義の誤解

エピクロス派は、しばしば「快楽主義」と呼ばれます。

しかし、ここでいう「快楽」は、一般的な意味での快楽とは異なります。

エピクロスが求めたのは、享楽的な快楽ではなく、上記でも述べた「心の平穏」です。

それは、恐怖や欲望から解放された、穏やかな心の状態を指します。

その証拠として、エピクロスは以下の言葉を残しています。

それゆえ、快が目的である、とわれわれが言うとき、われわれの意味する快は、————一部の人が、われわれの主張に無知であったり、賛同しなかったり、あるいは、誤解したりして考えているのとはちがって、————道楽者の快でもなければ、性的な享楽のうちに存する快でもなく、じつに、肉体において苦しみのないことと霊魂において乱されない(平静ある)こととにほかならない。

エピクロス: 教説と手紙』p.72

3. 隠れて生きよ

エピクロスの有名な格言に、「隠れて生きよ」という言葉があります。

この言葉から、エピクロスが世俗を嫌い、山の中で孤独な生活を送っていたように思われるかもしれません。

しかし、実際はそうではありません。

エピクロスは、庭園学園で弟子たちと共同生活を送り、友情を大切にしていました。

この「隠れて生きよ」という言葉は、世俗の騒がしさを避け、心の平安を求めることの大切さを表しています。

実際、エピクロスの庭園学園は、山の奥ではなく、アテネの城壁から1kmぐらいのところにあったようです。(徒歩で15分ぐらい)

つまり、外的なものに振り回されることなく、友情を大切にし、自分の内なる平和を大切にするという意味なのです。

まとめ

エピクロスの哲学は、現代社会においても、ぼくたちに多くの示唆を与えてくれます。

幸せになるには、肉体的に苦痛を取り除くこと。

そして、物質的な豊かさよりも、心の平穏を大切にすること。

これらの考え方は、現代人が抱えるさまざまな悩みを解決するヒントとなるかもしれません。

エピクロスの哲学は、決して禁欲的なものではなく、むしろ明るく前向きなものです。

彼の思想は、ぼくたちに、自分自身と向き合い、本当に大切なものを見つけることを教えてくれます。

もし、あなたが現代社会の忙しさに疲れてしまったり、心の平穏を求めているのであれば、エピクロスの哲学に触れてみることをオススメします。

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