腰に管刺さってるけど、念願の五島列島教会めぐりをした
遡って3月の終わりに職場を退職した。
時間ができたのと、身体の問題が解消されたのとで、まず一番行ってみたかった場所に行くことにした。
10年近く前にテレビで見た、100年以上前の祈りの建物。
そこに掲げられた手書きの「天主堂」の文字。
ものすごく魅かれて、いつかこの目で見たいと思った。
この4年間、私の欲望の向かう先は100%「普通に生活をすること」だったけれど、治療から解放されて教会に行きたかったことを思い出したのだった。
まずは夫と2人分のジェットスター長崎行きのチケットを取る。
1人片道7000円くらい。
その次に長崎・天草地方に数多に散らばる「潜伏キリシタン関連遺産」の本を買って、行きたい教会をしぼった。
そして教会巡りはとても難易度が高く、得意の行き当たりばったり旅じゃダメなことを知る。
久しぶりに真剣に頭を使って計画をたてた。
長崎港から五島列島最大の福江島に渡って、福江を拠点に小さな島をめぐることにした。
たとえば見たい教会のある久賀島と奈留島は目と鼻の先の位置だけど、フェリーの往来はなく、それぞれ福江島からでないと行けない。海上タクシーは融通が利くが値段が高い。
なんてことを徐々に理解し、フェリーの航路と時間を調べ、各島の港から目的の教会までは交通機関がないのでレンタカーやタクシーの予約をして、それに合わせてインフォメーションセンターで教会見学の予約した。
大変そうだから「教会めぐりツアー」を申し込もうとも思ったけれど、思ったときはすでに予約でいっぱい。
結果的には夫と2人、自力で行ってよかった。時間気にせずいつまでも見ていたい教会ばかりだったから。
行ってよかった。よすぎて、すぐに消化して文章に書く気分になれなかった。
私がこれまで見たもので(映画とか本ではなく物質的なもの)、もっとも心揺さぶられたものは、千数百年生きている巨木だったんだけど。
人間の作った建造物で、こんなに感動したことは一度もなかった。
権力や威光を示すためじゃなく、ただ祈りのために、建築家と大工さんと集落の人々が力を合わせてこんなに美しいものを、こんなに日本の端の海辺に建てたとは。それが100年以上ずっと静かにそこにあったとは。
可愛い木彫りの花の意匠。
素朴なステンドグラス。
ステンドグラスの代わりに窓に手描きされた花模様。
それらを目にしたとき、泣けてしょうがなかった。
自分自身の闘病生活に涙することはあまりなかったが、教会に一歩入って内部の美しさが目に飛び込んでくると、胸がいっぱいになった。
しんどかった日々に、自分はこういう自分なりの小さな花を胸に持とうとしていた気がするし、これから先もし再び苦しむことがあっても私は今日見たこの素朴な花を胸に生きよう、と思った。
日本にはなかったリブヴォールト工法の天井と、教会の目の前に広がる透明な海のせいなのか、小さな教会なのに、大きな広がりを持つ存在として記憶された。
教会は撮影禁止の場所が多かったので、外観や撮影が可能だった教会の写真たち。
長崎市 大浦天主堂
頭ヶ島 頭ヶ島天主堂
中通島 中ノ浦教会
中通島 旧鯛ノ浦教会
久賀島 旧五輪教会堂
奈留島 江上天主堂
福江島 堂崎天主堂
福江島 半泊教会
長崎市と福江島合わせて4泊5日の小旅行だった。
ちょうど2年前の春に腰に穴をあけて腎ろうを造設したとき、「生活の質がめちゃ落ちる」と医師に言われた。
「万が一腎臓から管が抜けたら、30分以内に処置をしないと大変なことになるから、それだけ気を付けて。抜けたらとにかく救急車でも何でもいいから病院に飛んできて」と怖いことを言われた。もう病院から30分圏外には行けないと本気で思った。
状況は今も変わらずだけれど、2年間つきあってみて、この人生の相棒への思いは「生活の質は何も変わらず、ちょっとめんどうなことを増やされた」ということで落ち着いている。
身につけた「オメガ貼り」でテープ固定すれば、管が抜けるなんてこともなくどこにでも行けることも分かった。
それで衛生管理のグッズを詰め込んで、ちょっとどきどきしつつ飛行機とフェリーの旅に行ってみることにしたのだった。
海辺に100年以上たたずむ大小の教会たちは、凄惨な歴史を背負っているとは思えない、ただただ美しさと可愛らしい色彩とともにそこにあった。
生きる勇気をもらう、なんてことが実際あるんだな。
病気をしなかったらこんなふうには思わなかったかもしれない。
障がい者手帳でフェリーは割引になるし、五島灘の幸は美味しいし、良い旅だった。
次回は五島で食べた美味しいものたちの巻。