飛び出してみることは大事

昔々バブル弾けたての日本でとある私立高校を卒業して大手企業子会社商社になんとなーく就職した私。

当時大手企業だけでなく一般的な企業では女子は腰掛けで定年は25歳と言われ、結婚したら退職勧奨されるという今では驚くような暗黙の了解がありました。

私も例外ではなく、なんとなーくある程度の年齢がきたら結婚して退職して専業主婦になって子供を育てるんだろうなと思っていました。

しかし父親が事業を興して成功するも長続きせず倒産させて夜逃げする羽目になったり両親が離婚して4人兄弟の末娘として成長した私は母親の元で放置子として育ち金銭的にも大変苦労して、このままでは生きて行くのも辛くなるだけだと決断。

父親に頭を下げて当時事業を興して成功しつつある父親側に行くことにしました。それに伴って都内のマンションに引っ越して都内の公立中学に通うわけですが、とんでもなく勉強ができる兄姉3人と比較されない生活はとても快適でした。


しかし、父親も見事に放置してくれて当時のファミコンのスーパーマリオブラザーズにハマって学校に行かなくなり、担任の先生が1人が暮らしのマンションに踏み込み、母親側に戻されそこから学校に通う羽目となりました。


ここで東京の都心まで学校に通いましたが母親が実家の周辺の高校に通えというのをいったん聞いたふりをしてやはり都内が良いと父親に助けを求めて二次募集で見事に都内の私立高校にもぐりこみ、平日は母親側で休日は父親と後妻とで過ごす生活を選んだのです。


母親はいわゆる毒親とよばれる分類に入り、上の3人を厚遇する割に私は冷たくされいわゆる搾取子として育ったのです。しかしこのまま自己肯定感が低いまま過ごすのだけは嫌だと子供ながらに母親から距離を取る決断を下しました。

そして無事に都内にある誰でも知ってる上場企業の子会社から内定をゲットしたのです。

大学にいくという選択肢も考えたのですが、問題がこの時点で発生しておりました。

父親の事業がバブル崩壊で傾いていたのです。湯河原に別荘を持ち、ベンツを乗り回して、銀座で毎晩飲んでいた父親についていたら身を持ち崩しかねないと決断しました。

この一年後に父親は亡くなったので我ながらよい決断をしたと今も思ってます。

入社した会社ではたまたま事務職の仕事が向いていて、タッチタイピングも電話応対も秘書としての所作などが身についており、最初は営業事務だったのがあまりの電話の量に辟易して翌年には海外部門のシステム管理部にオペレーターとして異動。マニュアルもないところからマニュアルを作っていたら親会社から出向してきた人事部長に声をかけられて社長秘書にならないか?と打診が来ました。


当時その海外部門は問題があり、もしかしたら丸ごと撤退か?という噂を聞いていたのでこれは天啓だと判断して打診を受けたところ、その部門は当時の彼氏のビルに引っ越して分社しました。


選択を誤ったとホゾを噛んだものですが数ヶ月で彼氏と破局を迎えたので文字通り決断は正しく、社長秘書としての社内外で名を馳せたため、出世コースと呼ばれる道を歩み始めました


ところがその彼と破局を迎えた1ヶ月後にまさかの親会社からの出向社員に猛アタックされていろいろ考えた結果お付き合いすることとなり、彼が結婚したいとまで言い出した上に社内に知られたばかりに社長秘書を外されて営業企画に異動。


異動直前に元婚約者とスピード破局したのはもうご愛嬌です。

しかしこれがまた転機となり、Excel Access などを使ったデータベース関連の知識と経験、もともと好きなITの知識、予算実績管理、数字の間違い探し、カタログの校正、営業企画に絡む会計関係の話、会社のERPシステムの再構築参画、海外拠点との連携などなかなかできない幅広い職務を積めてよっしゃ!と6年間頑張ってきました。


揺るぎない社内での地位も築きましたがいろいろ口さがない女性陣からの陰口にも耳を貸さずに仕事に邁進していたら来年の税務調査でぜったい突っ込まれそうな案件があり、そこの調査や是正を会社から依頼されたんです。








課長含めて3人しかいない元婚約者の部署で売掛金の照合が3年放置されているのでそれを照合してくれと。しかも10万件ほどあるデータです。

そこで過去の話を持ち出し、それでも私しかいなくてどうしようもないということなら翌年昇格を約束して欲しい。条件的には可能なはずだ。私にとっては社内の噂が立って面倒だし気持ち的に普通はできないことを頼むのだからそのくらいの見返りは欲しいと人事部長と経理部長に提示しました。


今思えばこてこての日本企業でよくそこまで言えるなとは思いましたが会社からのミッションを4ヶ月でコンプリートしたので昇格は果たしました。


しかし会社のリストラで元婚約者をはじめ4割の従業員がカットされしばらく私も頑張ってきましたが業務量は変わらないのに人が少なく、給与も賞与も安いまま。

大企業子会社なので実家を建て替える時のローンはばっちり組めたのでここで逃げどきだと判断して次も決まってないのに会社を退職して多額の退職金をベルリッツに突っ込みつつ職業訓練校とTACの簿記二級講座というトリプルスクールを無職中にやりました。まだ31だからやり直しは効くと信じて母からの「妥協しなさい」を無視。


自分が納得いく転職もして、ジョブホップして英文経理を目指していきますが、ひとまずこの辺で。

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