映画 ランボー2 怒りの脱出
みなさんこんにちは。私だ。
トラウトマン大佐だ。
いつもはアメリカの属国である日本で、演芸を通して反共運動に従事している盟友、ハウス加賀谷くんに頼まれて書いている。
カラオケ店も営業出来ない今、加賀谷くんは小高い丘の上でロックバラードを歌いたいそうだ。
たまには1人の時間も大切だ。
この映画は私も出演しているが、部下のジョンランボーくんの活躍を描いたものだ。
この怒りの脱出では、あまりに有名な、捨て石、の下りがある。
ランボーが自分を指して、捨て石、である、と言う。居てもいなくてもどうでも良い人間だと。
ハウス加賀谷くんはこの部分がとても気に入って、今でも2が1番心に響くと言ってくれる。
英語では、捨て石、の部分は、エクスペンダブル、である。
のちの、エクスペンダブルズ、はここからの引用と思われる。
エクスペンダブルズに於いては字幕では、消耗品、と訳されるが、このランボー2 怒りの脱出では、85年公開通り、捨て石、と表現されている。
私トラウトマン大佐の見地から言わせて頂けば、捨て石でない人間など、存在しない。
皆、等しく捨て石なのだ。
何か重要な役目を負わされているように映る人間もいるにはいるが、じつはその人物は、自分の役目に溺れているだけなのである。
そんな、捨て石だらけの人間の中にあって、唯一大事だと思えることは、人を想う心である。
加賀谷くんの国、日本には、情けは人の為ならず、と言う言葉があるそうだ。
しかしこの言葉の意味を正確に理解していない人が意外にも多いそうだ。
つまり、人に情けを掛けるのはその人の為にならない、と思っている日本人も多いそうだ。
たしかに、人に情けを掛けることがそのような場合に思えることも事実ではあろう。
しかし本来は、人に情けを掛けるということは、巡り巡って自分にかえってくる、と言う意味なのである。
決してニヒリスティックな言葉ではないのである。
長くなってしまったが、私は引退後はアーカンソーの空の下でジャガイモを育てたいと思っている。
皆さんの是非アーカンソーにお立ち寄りの際は、このトラウトマンに声を掛けてくれるといいだろう。
トラウトマン大佐
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