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三島由紀夫対東大全共闘を観た後に
本日夕方、やっと新宿の映画館にて、三島由紀夫対東大全共闘を観ることができた。
これはnoteに書こうと思いたつもなかなか思考が纏まらない。
もし既に同作品を観た人や、三島由紀夫に興味のある人にはオススメの動画がある。
NHKで放送したもので、戦後史
第7回 昭和の虚無を駆けぬける 三島由紀夫
である。
こちらは公式ではないのかもしれませんがYouTubeにても試聴できます。
三島由紀夫は一体何を観、何を想ったのか。
僕のような凡夫には預かり知らないことなのかもしれません。
しかし、凡夫なりに解釈することはできます。
例えば、右翼や左翼活動に身を委ねなくとも、芸人であろうと、八百屋さんであろうと、反権力は掲げ続けることはできるでしょう。
国体や歴史に重きを置く三島由紀夫に対し、まるで時間軸から解き放たれた存在であるかのように、新たなる秩序を求める若者たち。
その様子を観ている僕の頭の中では、僕の魂の大山倍達が問い掛けるのです。
チミはいつ、どこで、魂をもやしたかね?
ある人は思うでしょう。それは学生時代運動部にいた頃かな?
もしくは、結婚し順調だった子育てが反抗期で一変し子供と対峙したときかしら?
人それぞれに思い当たることはあるでしょう。
しかし、
果たしてそれでいいと思ってらっしゃいますか??
我々は、事切れるその時まで、魂を燃やし続けなければいけなくはありませんか??
魂は、いっときだけ燃やしただけではいけないのではありませんか??
老骨に鞭打って、杖を突き徘徊しながらも、魂は燃やし続けなければいけないのではありませんか??
異論は数多くあるでしょう。
ですが僕は例え負けず嫌いと思われようと、瞳を閉じ、目蓋の裏にガキでかが現れて、死刑!と言われるその日まで魂を燃やし続けます。
ハウス加賀谷