産まれた時から詰んでいるのはアリか?

こんなことを書くと非難轟轟であることは承知の上だし、あくまでも個人的な暴論及び妄想レベルとして書かせていただく。

人生が詰んだという言葉をSNS上でよく見かける。お金が無いだとか、周囲の人間環境や労働環境など理由は様々。あとは今まで怠惰に過ごしたせいで人生が詰んでしまったという意見もそれなりに見られる。

僕の場合は「何も積み重ねず、怠惰に仕方なく生きてきただけだから人生が詰んだんだぞ」と言われそうだし、そうした部分があるのは否めないが、どちらかと言うと産まれた時から詰んでいた、運が無かったと言う方が正しかったのかなと思う。

思えば物心ついた時からメンタルが弱くて親から怒鳴られて育ったし、努力をして何かを達成しようという発想がずっと無かった。
勉強は社会科とか歴史といった暗記するものはそんなに不得意ではなかったものの、数学、体育(特に球技)と図工が壊滅的だった。

学業以外でも奇行が多かった。特に小学校時代は不潔行為を平気で人前でやっていたし、中学校時代は今以上に承認欲求が酷くてここでは書けないくらいの異常行動を取っていた。詳細は限定の有料記事にでも書くべきなのだろうか…

そんな僕でも10代の思春期から20代前後の頃は良くも悪くも若さがあったのでそこまで人生が詰んでいるという感覚は無かった。むしろ僕なりに「見返してやるぞ!」という気持ちが強かった。
人とは敢えて違うことをやる逆張りの行動(奇行?)が多かったが、そこまで難しくない資格をいくつか取得したり自分探しをしたりと一応は前向きさはあったし、心の奥底では自分に可能性があると信じていた。
今思い返すと浅はかな自惚れであったのだが。

その後は主に労働で自らの無能さを痛感して疲弊して完全に擦り減ってしまい、そこから抜け出すこともままならなくなって今のようになっていった。

ここまで生い立ちが長くなってしまったが、生来の気質というか精神力の弱さと圧倒的な努力ができない体質というのは致命的であったと思う。
そんなもの後から努力や行動で何とでもなるじゃないか?お前が単純に怠けただけだろうが!!という台詞が飛んでくるだろうが、それに対しては

「怠けているのだったら小学校時代から不登校を決めてずっとゲーム三昧の日々を送って、そのまま20前後で天寿を全うしていましたよ。」
とお答えしたい。

無論こんな生き方は人様にお勧めすることはできない。僕が言いたいのは過去の人生において常時エネルギーを使い果たしてきて、どれだけ人生をやり直そうとしたとしてもやり直しの地点が見つからないということだ。
せいぜいできたとしても過去の失敗を修正できたぐらいで根本的な改善には至らない。

おそらく僕のような者は海外の過酷な環境やドラマおしんの時代に産まれていたら幼少期の内に命を落としていただろう。あとは原始時代とか戦国時代とかもね。

こんな僕が今まで生きながらえてきたのは日本が豊かで恵まれていたからでしかない。こんな「国ガチャSSR」の日本でも頑張れないのは僕がクソすぎるからというご意見が飛んでくると思うが、本来は産まれた時点で燃え尽きているのだからそれはお門違いとしか言えない。

産まれた時から詰んでいるという話をすると誰しも否定するだろうし、特に教育に携わっている人達からすればトンデモ論だろう。

そんな現状だとしても僕はそれを完全否定できないのだ。

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