睡眠障害が私から奪っていったもの、そして与えてくれたもの。4334文字
こんにちは。
1つ記事を挟んでしまったが、引き続き睡眠についてのことを書こうと思う。
ちなみに前回のはこちら。
小欲知足。足るを知る。
この言葉に私自身も救われた。
今あるものに感謝をすること。これが大切だ。
今日は睡眠の問題が与えてくれた学びについて書いていく。
その前に少し振り返り。
まだ素人の仮設ではあるが、私は「不注意優勢型ADHD」による脳の覚醒維持機能が弱いせいで起こる睡眠障害持ち。
精神科では「特発性過眠症」の疑いがあると診断を受けた。
ずっと私は睡眠の問題に苛まれていたと思っていた。
睡眠のせいで諦めてきたことや、自信を無くしてきたことなんて腐るほどあった。
不注意優勢型ADHDは物忘れやケレスミスが多い。
小さいころから、テストでは名無しで提出してしまって0点を取ったり、途中式は合っていても答えの単位が違っていたりすることは多々あった。
出かけるときも鍵を閉めるのを忘れたり、鍵を閉めに帰ったら手に持っていた財布をどこかに置き忘れるし。
おっちょこちょい。
そんなことで済むなら何も問題はない。
そんな子供は親からこんなことを言われる。
「あなたは詰めが甘い子だからね」
言った方は何も覚えていないだろう。
だが、言われた方は意外と覚えているものだ。そして幼少期に刷り込まれた言葉はいい言葉も悪い言葉も心にベットリこびりつく。
大事なところでミスをする人間
勝ち切れない人間
そんなセルフイメージを持ちながら年を重ねることになる。
中学生くらいから異変に気付く。
授業中の居眠りをしてしまう。
いくらでも昼寝ができてしまう。
物忘れが多い。
徐々に周りの友達や家族との違いを感じていく。
余談だが、私は中学生以前の記憶がほとんどない。
覚えているのは3つくらい。
幼稚園の時のお寺に泊まったとき。
小学1年生の時に学芸会で演じたカメ役の動きとセリフ。
小学6年生の時、男女でディズニーランドに行ったとき。
誇張なしにこれくらいしか思い出せないのだ。
これも何か影響しているのだろうか。詳しい人はぜひ教えてほしい。
家族や親戚との旅行もスッポリ覚えていない。
連れていく価値のない奴だとよく笑われていた。
高校生になるとほぼ毎日授業中に居眠りをするようになる。
起きているのは友達とモンハンをしているか漫画を読んでいる時だけ。
覚醒維持機能が弱いせいか、集中力が続かない。
気が散って作業スピードが落ちる。思考が浅い。眠くなる。昼寝したら夜。
やらなければいけないことや提出物があっても、シチュエーション構わず眠くなる。
そういったことから諦め癖がつき、劣等感を感じやすくなる。
睡眠障害は自身の性格をも変えてしまう。
これを「ナルコレプトイド性格変化」という。
またこの詳細と、どう向き合っていったかは後述したい。
このように、私は「他人と違っている」ということを感じざるを得ない幼少期を過ごした。
ヴェルタースオリジナルのCMのように、みんな特別だと何かの才能であると感じれたら結果は変わっていたのかもしれないが、間違いなく劣等感へと変わっていったのだ。
だが悪い側面だけではない。
睡眠に問題を抱えている自分だからこそ気付けた学びや教訓があることは間違いない。
という考え方ができるようになったのもここ最近の話。
20年以上はずっと被害者面をし続けた私にとっては、睡眠を巧みに言い訳として使う術が上手くなっていった。
ではなぜ前向きに捉え、睡眠障害というハンデを「特性」と捉えて前を向くことができたのだろうか。
自分でも不思議な部分なので、書いていきながら整理をしていきたいと思う。
①努力では解決できないものがある
②人には誰しも問題を抱えている
③現状を維持しようとする無意識が、問題を解決したい自分自身を阻んでいる
大きく分けるとこの3つの学びを得られたからだからだと思う。
一度は鬱のような状態になったが落ち込んでいた時期は短く、回復は比較的早かったように思う。
スッと受け入れられたのは、交通事故のようにある日突然この体になった訳ではなく、もの心ついた時からずっとこの体だったからかもしれない。
そして1つ目の
①努力では解決できないものがある
ということが納得できるようになってからだ。
再度参考にした記事を貼る。
記事には
睡眠障害はそれ単体で起こるケースもあるが、発達障害と併発している場合が多い。
と書いてある。
そして、睡眠の問題というのは複数の原因があるが、オレキシンという物質の分泌が少ないということも挙げられる。
つまり睡眠の問題は、脳の発達やホルモンの問題によるものであり、努力によってどうにかできる問題ではなかったのだ。
「眠気」というものは、昔から「怠惰」「やる気がない」などというイメージを持たれがちだ。
人前で欠伸をすることは失礼にあたり、話がつまらないというメッセージになる。
京都の人が「いい時計してますなぁ」と言うのとは全くの別物。
だって、欠伸をしたくてしているのではないのだ。
自分は怠け者だ。
他の人はこの耐え難い眠気を我慢しているというのに、なんで自分は人前で寝てしまうのか。
そうやって自分を責めては、自己肯定感も、集中力も、何かにチャレンジしようという気持ちもどんどん削がれていった。
精神科で「特発性過眠症」と言われ、今までずっとブラックボックスだった睡眠の問題に初めて「それらしい」病名がついたのだ。
ショックを受けると思いきや、なぜだかすっきりしている自分がいた。
頑張って改善したいと思っていたものは、実は性質上治らないものであり、そりゃ治らないのもしょうがない。
今まで悩んでいたことがバカバカしくなり、吹っ切れることができた。
学生の時、周りとの違和感を感じADHDについて調べたかつての自分の勇気と直観力を素直に褒めたい。10年の時を越えて高校生の自分の気持ちは成仏できた。
つまり、自分が悩んでいたものは自分でコントロールできない問題であった。
という答えにたどり着けたからこそ、私は次に進む準備が整ってきたのだ。
続いて2つ目
②人は誰しも問題を抱えている
よく重病を患った方が「病気になってよかった」や「有難みが分かった」などと口にしている。
程度は自分の方が随分と低いが、似たような感覚を感じることができた。
なぜならば
この体になったからこそ人の痛みに気付け、理解されないもどかしさや光が見えなかった苦しさに共感できるからだ。
睡眠の問題がハッキリしてから、この悩みを周りの人に打ち明ける機会が少しずつ増えてきた。
すると意外と親が重い病気であったり、鬱を経験していたり、思っていたよりみんな様々な悩みを抱えて生きていることに気付いた。
言わないだけで誰しも問題を抱えている。
これは不変の事実である。胸を張って言える。
だからこそ、手を取り合って人は生きていくべきだし、一人で解決できることなんてほんと僅かだ。
周りの人に感謝をして、迷惑はどう頑張ってもかけてしまうからこそ他人を助けてあげるのだ。
変な話、自分の睡眠の異常性に気付くためにも、他人の存在が必要不可欠であった。
比較をすることでしか判断はできない。
人間は、自分のハンデを隠しながら、泥臭く、そしてできるだけ美しく日々一生懸命生きていることを知った。
③現状を維持しようとする無意識が、問題を解決したい自分自身を阻んでいる
これは、根深い。非常に厄介であり、だが人間の本質である。
昨年の11月ころ、メンタルが不健康になってきたと自覚をしたタイミングで「無意識」について調べる時間が多くなっていった。
動機は覚えていないが、何か惹かれたのであろう。
結果、「無意識」を学ぶことは大きな財産となった。
もし学んでいなければ③の気付きはなかったといっても過言ではない。
人間には「恒常性」というものがある。
参考程度に説明している記事を貼っておく。
よく例えで体温を保つ機能を引き合いに出される恒常性。ホメオスタシスとも呼ばれ、現状を維持しようとする働きを持つ。
自己啓発本などで何度も目にしている人も多いと思うが、この恒常性は、変わりたいと思っている自分をコンフォートゾーンに中に留めさせる力を持っている。
最初の方でも、睡眠の問題に苛まれてきた。と書いた。
どっからどう見ても改善したいと感じているに決まっている。
だが、睡眠の問題を解決したくないと感じているもう一人の自分が存在しているのだ。
どういうことだと思う人もいるかもしれない。
これはまだ仮説ではあるが、ざっくりいうと「睡眠の問題が解決されてしまったら、もし失敗したときの言い訳として使えなくなってしまうのが嫌」だからだ。
これは本当に盲点だった。
微妙な違和感と、恒常性の概念を知らなければ気付けなかった。
今、睡眠の記録を取っている。
アナログな記録や、毎日決められたことをやることがめちゃくちゃ苦手な自分にとっては苦行of苦行。何度も挫折をした記録表を今回は自分から進んでやりたいと感じた。
問題が浮上してきて、釣りで言うともう魚影が見えている。
あともう少しで釣れる、網を持ってくれば捕まえられるくらいのところまできた。だから記録表をつけたいというところまできた。
この記録表で解決につなげられる。よし頑張ろう。
普通ならそう思うはず。
だが、ワクワクしない。
苦手だということも関係しているとは思うが、何故か嫌なのだ。
その気持ちと向き合ったときに、この表を記録するのが嫌だと感じている自分がいることに気付く。
解決するために記録する表を書きたくない。
ということは、この問題を解決をしたくないのだと思った。
なぜ解決したくないのか。
解決しない方が得だからだ、プラスになるからだ。
徳とは何か。プラスとは何か。
寝てしまうこと、集中が続かないことのどこが得なのか。
考えた。
というより感じた。
そう。
できなかったときの言い訳ができなくなってしまう。
これだ。
これには自覚がある。
提出物が期限に間に合わなくても、眠かったからしょうがない。
クオリティが低くても、眠かったからしょうがない。
待ち合わせの時間に間に合わなくても、眠かったからしょうがない。
私はいかなる時でも、できなかった原因を睡眠のせいにしてきていたのだ。
つまり、睡眠の問題を解決してしまったら、もう自分は言い訳ができなくなり、正当化できなくなり、自ら逃げ道を断つことと同義になる。
改善したい表向きな心と、甘ったれてきた本心との大きな乖離があったのだ。
今日はここら辺にしておく。
3つの学びは睡眠の問題以外にも、人間関係や仕事にも十分転用できる考え方や学びだ。
コンフォートゾーンから徐々に抜け出していかなければならない。
コーチングについても少しずつ学んでいこうと思っているので、それも気が向いたら書いていこうと思う。
ではまた。