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医心方 第二十七 養生篇 大體第一(5)鳳凰堂流解釈


彭祖は三皇五帝時代から夏王朝にかけて現れ、約800年生きたとされる(ひとりではなく氏族とも言われてます)、養生を代表する仙人です。


彭祖は次のように言っています。「いのちを養う仙方とは、ただ『命を損なわないようにする』だけです。

冬は温かくし、夏は涼しくし、自然の推移、変化に調和させることが、四季に身を適応させることです。

美人が淑やかな姿に幽艶閑雅の趣を楽しみ、それに執着しないのは、神に通じるゆえんである。

車や馬の威儀はほどほどにし、分を超えた飾り付けを望まないのは、志ある証拠である。

八音五色をもてあそんで、目や耳を歓ばせるのは、音や色が人の心を誘うからである。これらは全て命を養うが、控えめにすることができないと、むしろその為に迷いが生じたり、患いを生じたりすることになる。

だから至人は自分が欲望に溺れてしまうことを恐れて、その根本を断ち切るのである。

従って、徳の高い優れた人物は女性と部屋を別にし、中くらいの人物は掛け布団を別にすると言う。薬をどれほど多く服用しても、独りで寝ることには遠く及ばない。

色彩には盲目となり、音楽には耳を塞ぎ、味覚には口を麻痺させる。このようにして養生に適うように摂生したり、伸ばしたりして通じるべき所、塞ぐべきところを抑えたり挙げたり、上手にコントロールするものは齢を減らさずに益することが出来るのです」。

彭祖は又次のようにも言っています。

「重ね着したり敷物を厚くしたりすれば、身体は虚弱となり、風邪を引きやすくなる。濃厚な味覚や干した魚肉類、酒の飲み過ぎ、食べ過ぎは疝結(痛み)を引き起こす。

美しい姿形、たおやかな麗人、なまめかしい側女などが房室に満ちているのは、男性には体力減退、気力脱落の禍を招く。

淫らな声や哀切な調べに心を動かし、耳を傾ければ高い志を無くし、歓楽に溺れてしまう。

原野を馬で駆け巡って、鳥獣を弓や弩で狩猟したり、物見遊山に熱狂すればけじめを失う。

戦勝に乗じて弱国を併合しようと計略を巡らせて乱を起こせば、驕りの為に油断が生じて敗北の憂き目に遭う。

思うに聖賢はその筋道を失う事を戒めているのであろう。だからこの養生の心がけは、たとえていえば水と火の様なものである。適度にしないと反って害にしかならない、という事になる」。

養生と言う題目を正義の旗として、自分を律するだけでなく、人に押し付ける事になると結局は精神が不養生になる事を伝えています。

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