養生訓 巻第七 用薬 鳳凰堂流解釈⑩
原文を現代文に改変
病の初發の時、症を明らかに見つけずんば、みだりに早く藥を用ゆべからず。
よく病症を詳にして後藥を用ゆべし。諸病の甚だしくなるは、多くは初發の時藥違えるによれり。
あやまって病症にそむける藥を用ゆれば治しがたし。故に療治の要は初發にあり。
病おこらば早く良醫をまねきて治すべし。
症によりおそく治すれば、病ふかくなりて治しがたし。
扁鵲が齋侯に告げたるが如し。
鳳凰堂流意訳
初めて病が発症した際には、症状からその病が明らかに判断できないのであれば、みだりに早く薬を用いてはいけない。
よく病症を詳らかにしてから薬を用いるべきである。
あらゆる病で酷くなるのは、多くは初発の時の薬が間違っている事による。
あやまって病症に対応できない薬を用いれば治りにくくなる。
従って療治の要は初発にあると言える。
病が起こったらできるだけ早く良医をまねいて治すべきである。
症状によっては治療が遅くなる事で、病が深くなり治りにくくなる。
扁鵲が齋侯に告げたようなが状態である。
鳳凰堂流解釈
史記・扁鵲倉公列伝に記載されている話は有名ですが、端的に書くと、
死んでいると思われた太子の葬儀に出会い、診ると死んでいないと蘇生した事で齋国に召し抱えられた扁鵲。
齋侯の私生活が乱れていた為、再三注意したにも関わらず、生活を変えてくれずに月日が経ち、
ある時謁見して、もう治療できないと思った途端に扁鵲は齋国を出たと言う記録があります。
ここで大事なのは初発を捉える事のように考えがちですが、
その前に日頃の養生や死生観が大切です。