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養生訓巻第二総論下 鳳凰堂流解釈62

原文を現代文に改変
丹渓陽有餘陰不足論は何の經に本づけるや、本據を見ず。もし丹渓1人の私言ならば無稽の言信じ難し。

易道の陽を貴び陰を賤しむの理に背けり。もし陰陽の分數を以てその多少を言わば、陰有餘陽不足とは云うべし、陽有餘陰不足とは云い難し。後人その偏見に従いて与するは何ぞや。

凡識見なければその才辯ある説に迷いて、偏執に泥む。丹渓はまことに振古(いにしえより)の名醫なり。醫道に功あり。彼の補陰に専らなるも、定めてその時の氣運に宜しかりしならん。

然れども醫の聖にあらず。偏僻の論、この外にも猶多し。打ちまかせて悉くには信じがたし。

功過相半せり。その才學は貴ぶべし。その偏論は信ずべからず。王道は偏りなく黨なくして平々なり。

丹渓は補陰に偏にして平々ならず。醫の王道とすべからず。近世は人の元氣漸く衰う、丹渓が法に従い、補陰に専らならず、脾胃を破り、元氣を損なわん。ただ東垣が脾胃を調理する温補の法、醫中の王道なるべし。明の醫の作れる軒故救生論類經等の書に丹渓を甚だ誹(そし)れり。その説頗る理あり。然れどもこれ亦た云うべし。

鳳凰堂流意訳
朱丹溪は陽有餘陰不足論を唱えたが、この論はどのような経典を根拠としているのかが見あたらない。もし丹渓1人が考えた、私見であれば、これは臨床的な経験を経ていない可能性が高い机上の空論であり、信じ難い。

周易の陽を貴び、陰を卑しむという理論にも背いているからである。

もし陰陽の消長平衡を基準にして陰陽の多少を考えるなら、陰有餘陽不足と言った方が裏に適っており、陽有餘陰不足とは言い難い。

後人はこのような偏った意見に賛同し、これを基準にしている人がいるが、それは何も考えずにただ既存の資料をマニュアルとしているだけなのではないか。

見識が確かでない場合は、言葉のレトリックによって正しいかのように説明するものに迷い、偏った見識に嵌まる。

但し、朱丹溪は本当に古の名医と言われ、実際に名医であったと感じる人でもある。なぜなら医道において功績があるからである。彼は補陰を提唱したが、その時の時代の流れに乗った部分も多くあっただろう。

しかしながら、名医であっても医聖ではない。偏った癖のある論はこの外にも多くある。マニュアルとして盲従するには良くない。

功績としては半分程度であっても、その才能と学術研究に対する努力は貴ぶべきである。但し、偏った論は読者が客観的に観ることでよくよく考えるべきである。王道は偏りがなく中庸が肝心である。

朱丹溪は補陰に偏っており、中庸ではないので王道とも言えないのである。

最近の人は、元氣が衰えても丹渓の法に従うことで、補陰のつもりが補陰にならず、逆に胃気を破って元氣を損なっている。

李東垣だけが脾胃を調理する温補の法を唱えている為、医中の王道と言える。

明医が作った軒故救生論と言った類の経典等の書には朱丹渓が良く誹(そし)られている。その説には非常に理がある。しかしながらこれもまた言うべき事がある。

鳳凰堂流解釈
総論下も最後になってきました。
ちょっと専門的になってきたので、長くなります。

朱丹溪、李東垣は共に金元四大家として名が挙がる人物であり、日本でも江戸時代には李東垣の開発した補中益気湯が大変流行した時期があるが、吉益東洞は補中益気湯は真綿で首を締めるような処方だと断じている。

つまり、病に対しては、方証相対(処方と証、エビデンスが合致すること)が原則であり、その人、環境、状況等によって異なる為、一つの論に拘泥せず、見合わせる必要があるという点がここで一番大切な要となるところではないだろうか。

人を観るのか?病を診るのか?人を観れば完全はなくとも勧善はあり、病を診れば完治は六割程度(本質的な病因の改善。症状の改善は如何様にもなる)がせいぜいというのが鳳凰堂の考えである。

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