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養生訓 巻第三 飲食上 鳳凰堂流解釈⑲
原文を現代文に改変
飯のすゑり、魚のあざれ、肉のやぶれたる、色の悪しき物、臭(か)の悪しき物、にえばなをうしなえる物食らわず。
朝夕の食事にあらずんば食らうべからず。
又早くしていまだ熟せず、或いはまだ生ぜざる物、根を掘り取りてめだちをくらうの類、又時過ぎてさかりを失える物、皆時ならざる物なり。食らうべからず。
これ論語の載する處、聖人の食し給わざる物なり。聖人身を慎み給う。養生の一事なり。法とすべし。
又肉は多けれども、飯の氣にかたしめずと言えり。肉を多く食うべからず。
食は飯を本とす。何の食も飯より多かるべからず。
飯食の内、飯は飽きざれば飢を助けず。
羹は飯を和せんためなり。
肉は飽かずしても不足なし。少し食らって食を進め、氣を養うべし。
菜は穀肉の足らざるを助けて消化しやすし。皆その食すべき理あり。然共多かるべからず。
鳳凰堂流意訳
飯が酸っぱいもの、魚がくさったもの、肉がただれているもの、色が悪いもの、臭いが悪いもの、煮えすぎたものは食べてはいけない。
朝夕の食事時でなければ食べてはいけない。
又早熟なものやまだちゃんと成長してないもの。根を掘って取り芽が出た状態のものの類、又時間が過ぎ旬を失なったもの等は全て、良い時を失ったものなので食べてはいけない。
これらは論語に書かれており、する處、聖人が食べないものである。聖人は身体を大事にし、慎む。養生の一つなので決まりとしておくべきである。
又肉は多くてもご飯に勝つほど多く食べてはいけない。
食はご飯を本とする。どの食もご飯より多くないようにする。
ご飯食では、ご飯で腹が満たなければ飢えを助けてはいない。
羹はご飯が入りやすくする為である。
肉はお腹を満たさなくても身体にとって不足となることはない。少し食べて食を進め、氣を養う事が大切。
野菜は穀肉の不足を助けて消化しやすくする。全ての食には食べる理があるが、多過ぎてはいけない。
鳳凰堂流解釈
前半部分は、現代では当たり前なので意識しなくても良さそうです。
過ぎたるは尚、及ばざるが如し
と言う言葉も常に念頭に置いておく必要があります。