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養生訓 巻第七 用薬 鳳凰堂流解釈㉙


原文を現代文に改変

世俗には、振藥とて、藥を袋に入れて熱湯につけて箸にてはさみ、しきりにふりうごかし藥汁を出して服す。

是は自然に藥汁出るにあらず。しきりに振り出す故藥湯にごり、藥力滞りやすし。補藥は常の煎法の如く煎じ熟すべし。泡藥に宜しからず。凡そ、煎藥を入れる袋はあらき布は悪しし、藥末もりて藥汁にごれば滞りやすし。もろこしの書にて泡藥の事いまだ見ずといえども、今時宜によりて用ゆるも可也。古法にあらずしても、時宜よくかなわば用ゆべし。

鳳凰堂流意訳

一般的には、振薬と言われ、薬を袋に入れて熱湯に浸けて箸で挟み、しきりに振り動かして薬汁を出して服用する。

これは自然の薬汁が出ているのではない。しきりに振り出す為、薬湯がにごり、薬力は滞りやすい。

補薬は通常の煎じ方で煎じて熟した方が良い。泡薬として使うのは良くない。

煎薬を入れる袋に粗い布を使うのは良くない。薬粉末が漏れ薬汁が濁ると気が滞りやすいからである。

中国の書には泡薬についてまだ書かれている文献をみたことがないが、その時その時の最適なものを見極めれば、用いても良いだろう。

古法でなくても、医自身の天人地三才(天運、地縁、人事)に適えば用いて良い。

鳳凰堂流解釈

泡薬は江戸時代の日本で作られた煎じ方のようですが、それを更に改良したものが、現代の顆粒剤とも言えるのではないかと考えています。

意訳にも関わらず、最後に天人地三才、天人合一思想を織り込んでしまいましたが、

ふと気づくと、一般的に言われる選択肢を使わず、これを使うと決める事は、周易では

象(しょう)と呼び、イメージ、観念、無意識の中の光などと考えています。

一般的には象という概念が中々通用しない為、先ずは理という型を大切にしますが、最終的

には象・数・理を重ね合わせると、今失敗と思ったことも大切な経験や財産になり、時(天)・

場所(地)・人によって常に変化している象が明確になっていきます。

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