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養生訓 巻第七 用薬 鳳凰堂流解釈①
原文を現代文に改変
人身病なき事あたわず。病あれば醫をまねきて治を求む。
醫に上中下の三品あり。上醫は病を知り、脈を知り、藥を知る。この三知を以て病を治して十全の功あり。まことに世の寶にしてその功良相につげる事古人の言のごとし。
下醫は三知の力なし。妄りに藥を投じて人をあやまる事多し。
その藥は補瀉、寒熱の良毒の氣偏なり。その氣の偏を用いて病を攻むる故に、參茋の上藥をも妄りに用ゆべからず。その病に應ずれば良藥とす。必ずそのしるしあり。その病に應ぜざれば毒藥とす。ただ益なきのみならずまた人に害あり。
又中醫あり。病と脈と藥をしる事上醫に及ばずといえども、藥は皆氣の偏にして妄りに用ゆべからざる事を知る。故にその病に應ぜざる藥を與えず。
鳳凰堂流意訳
人の身体は病を全て無くすという事はできない。
病となれば医をまねき治療を求める。
医には上中下の三品がある。
上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。この三知を用い、病を治すことで十全の功がある。これは本当に世の宝であり、その功は古人が言葉にしているように相に出る。
下医は三知の力がない。妄りに薬を投じ人に誤った治療をする事が多い。その薬は補瀉、寒熱の良し悪し、毒の氣が偏っている。
その氣の偏よりを用いて病を攻める為、人參や黄耆と言った上薬をも妄りに用いてはいけない。
その病に応じるのが良い薬である。必ず兆候、証拠が現れる。
その病に応じないものは毒薬となる。
ただ益があるだけでなく、人に害もある。
又中医がいる。病と脈と薬を知っているレベルは上医には及ばないが、薬には全て氣の偏よりがある為、妄りに用いてはいけない事は知っている。その為、その病に応じない薬は出さない。
鳳凰堂流解釈
黄帝内経にも上医、中医、下医の分類がありますが、それは既病治、未病治、社会治での区別。
ここでは更に既病治を3つに分類して、上医、中医、下医としています。
最終的にはどちらも似た事を言っているので、現実、臨床と論を重ねた貝原益軒なりの伝え方と言えるでしょう。