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鳳凰堂の見解(1)
先日の投稿で、鍼灸や東洋医学について鳳凰堂の見解を説明、紹介する必要があるな〜と思った為、ここに順を追って説明していきます。
あくまで鳳凰堂個人のバイアスがかかった説明ですので、諸先生方の御意見を否定することはありません。
じじいの戯れ言と一笑に付していただければ幸甚です。
今の世にある鍼灸を、
診療報酬体系で大きく分けると2種類
1、保険診療による鍼。
2、実費診療による鍼。
鳳凰堂は2、に当たります。
次に施術方法で分けるとかなり細分化されますが、大きく分けると、
1、患者さんの自覚的鎮痛主体(保険診療の大多数、実費診療の一定数がここに入ります)
2、慰安主体(美顔等エステ系)
3、東洋医学として、病全般を扱う施術
鳳凰堂は3、に該当します。
現代では、鍼灸師も鍼の初学者が多く、初学者のままで一生を終える人が少なくありません。
この分類は、それぞれの施術者の思考レベルや欲(自身の経済、経営観念)で決めたものだからです。
うろ覚えですが、平安時代は古典典籍を全て暗記していないと資格を与えられなかったそうです。
つまり、鳳凰堂では東洋的な思想、医学に精通した上で1人1人に当たる事が当たり前。
その為、一生をかけても努力が足りないことを胸に秘め生きています。
本来の鍼灸を紐解くと、
東洋医学最古の古典にして、未だ最高の原点は黄帝内経。
これには、素問と霊枢と言う二つの書がありますが、霊枢は鍼経とも呼ばれた鍼の聖典。
先ずはこれに触れた事がない鍼灸師が多いのです。
なぜなら、今とその次の瞬間にしか視点がないから。
東洋医学は基本的に循環(太極)を大切にします。
霊枢の最初の篇に当たる九鍼十二原には、
黄帝が庶民から税金としていただいた金で役人を食べさせて、世の中を循環させているが、庶民自体に十分に還元できていないことを心苦しく思い、
外科的手術も毒薬(漢方、生薬)も使わず、
小さく、細い、この鍼だけで苦しみから解放し、
自分らしく生きられるようにしたいとの願いを込めて、御典医である岐白(ぎはく)と問答すると言う内容です。
そして素問の移精変気論篇には、
太古の昔は祝由(しゅくゆう、すくゆ)で人は治っていた、中古(春秋戦国時代辺り)では導引(どういん。呼吸法や体操等)で治っていた。
その後毒薬が発達し、今鍼灸で治療しているが、それでも治らない病があるのはなぜか?(鳳凰堂流拡大解釈)と書かれています。
それらを重ねて合わせて考えると、養生の大切さ、1人1人が考えてくれるようになる事で、病は減ると考えられます。
1番大切な事であるにも関わらず、お金にならないから専門と称して研鑽や説明を怠る、
東洋医学として生命全般を観てから施術していない、
と言うのは鳳凰堂の流儀に悖る為、粛々と研鑽しているだけですので、見えていない鍼灸師が自分の輪の中で努力されている事を批判する意図も論議する気もありません。
見えないところ、気づいていない、意識していないところに成長の種が隠されており、分からないからマニュアルをやれば施術しているとか、現代の病名と言うレッテルを安易に考え保身したり、成長を止める事は是としておりません。
ご縁があり、出会った人、1人1人を大切にしたいからこそ、施術者がやるべき事と受けられる方がやるべきこと、休むべきことを分ける事が上工(上級の治療家)が心するべきだと考えています。