(4)医心方 巻二十七 養生篇 谷神第二 鳳凰堂流解釈
養生要集からの引用
穎川の胡昭にいた孔明の話をあげている。
三国志の時代、魏の重臣で諸葛亮とは別人物。
隷書を好み、陰徳の篤い人と言われています。
五感の本能を考えると、
目は不正な色を見たがらず、
耳は醜聞や穢れた声を聞きたがらず、
鼻は腥い臭いを嗅ぎたがらず、
口は毒や刺激物の味は欲しがらず、
心は嘘やだまし等したがってはいない。
これは神を陵辱し、壽を損する行為だからであり、
又いつも同じ所にいて溜息をつき、昼夜歌を歌っていると正しい行いに逆らっており、邪が入る。
一般の人が無欲でいることは難しく、又何事もなく過ごすのも難しい。
だからこそ、ただいつも心を和やかにし、雑念を少なくし、身体を安定させることが大切である。
ものを損なえば、先ずその前に神は乱れ本性は犯されている事を心すべきである。
この心得が書神の一術(精神調和法の一つ)であると言っています。
鳳凰堂流は、上記同様、無欲でいる事は難しく、
無欲でいると世間の欲とは調和的しない為、
欲を制御できた時に自分を褒めてあげる事を推奨しています。
大きなことをやるには、ちいさな一歩を大切に。