老子道徳経と中医学的身体観㉔
副題 苦恩
中医学的身体観では、まず天地を受け入れ、交流する事。(心腎相交にも繋がる)
第1の原理がしっかり体現できていれば、つま先立ちでも大股でも良い。
しかし、それが出来ていないのに自分を大きく見せようとすると必ず怪我や失敗をして天が知らせてくれる。
この天の知らせは自分をただ1つの生命として、奢らず、威張らず、淡々と身体や心に向き合わなければ気づかない。
気づいた人は幸せである。
美醜善悪が自分の心、身体によって決められている事が理解、体感できるから。
自分を背高く見せようとすると、その時間は短く、
大きく歩こうとすると、長くは歩けない。
自分の事しか見ないものは、全てが見えず、
自分だけが正しいと考えれば、本当に正しいものが何かは分からなくなる。
自尊心が強いと成功できず、自惚れると人を導く事はできない。
道の原理、原則を知る為にはこのような事は余計な事だが、道を行く者はそもそもこう言う人からは遠ざかっていく。
直訳
跂(つまだ)つ者は立たず。跨ぐ者は行かず。
自ら見(あらわ)す者は明らかならず。自ら是(ぜ)とする者は彰(あきら)かならず。
自ら伐(ほこ)る者は功無し。自ら矜(ほこ)る者は長ぜず。
其の道に於けるや、余食(よしょく)贅行(ぜいこう)と曰う。物或(つね)に之を悪(にく)む。
故に有道(ゆうどう)の者は処(お)らず。
原文
跂者不立。跨者不行。自見者不明。自是者不彰。自伐者無功。自矜者不長。其於道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處。