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養生訓巻第二総論下 鳳凰堂流解釈60

原文を現代文に改変
天地の理、陽は一、陰は二なり。水は多く火は少なし。水は乾き難く、火は消えやすし。
人は陽類にて少なく、禽獣虫魚は陰類にて多し。これ故は陽は少なく、陰は多き事自然の理なり。

少なきは貴く多きは卑し。君子は陽類にて少なく、小人は陰類にて多し。



鳳凰堂流意訳
天地の理は、陽が一、陰が二である。
水は陰であるので二、火は陽であるので一。という事は水の方が火よりも多い。

水は乾きにくく、火は消えやすいという理が成立する。

生命全体を太極とすると、
人は陽、その他の動物、虫などは陰と考えることができ、ここにも多少の比較分類ができる。

全てに通用する周易の哲学、考え方が通用しており、周易は自然の理を形にしたものだからである。

少ないものは貴く、多いものは卑しい。

君子は人の中でも少ない部類に入る為、陽であり、小人(衆人)は陰となる。

鳳凰堂流解釈
天地の理、自然の理とは、それを形にした周易をも表している。

周易の理は太極から両儀、四象、八卦と流れ、敷衍(ふえん)し、この理を更に簡単にしたものが現在でも認識されている五行(鄒衍により広められた哲学)となる。

陽は一、陰は二、陰陽太極は三、四象は四、五行は五。

ここに老子の善惡美醜は人が決めるものであり、本質ではないという考え方を入れると、太極すらも人が認識する為に一時的に規定したものであり、本質は無、無極、渾沌、太易である事が容易に理解できる。

鳳凰堂の基準は無極。人それぞれが魂を昇華し、また無極に帰るのことを願い、それは全てを許し、受容し、共感する事に繋がる。

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