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(6)医心方 巻二十七 養生篇 雑禁第十一 鳳凰堂流解釈

(6)医心方  巻二十七  養生篇  雑禁第十一⑤  鳳凰堂流解釈

 延壽赤書からの引用
八節の日は心を静粛にし、言葉を謹んで、必ず善い事を主体に行動しましょう。

その日は慎み深く、震怒せず、上から目線で何かを断罪しないように。

全て運と人にとっての大いに忌むべきもの。

養身経からの引用
人には一の不当、二の不可、三の愚、四の惑、五の逆、六の不祥、七の癡、八の狂がある。これを犯すべからず。

 一の不当とは、吉日に婦と床を同じくするは一の不当なり。(今、周礼から考えると、一月の吉を言っている。注には、吉とは朔日の事を言っていると書かれている。)

 二の不可とは、お腹いっぱい食べて精思するのが一の不可。

1ヶ月の上旬に下旬の事を考えるのは二の不可。(今尚書から考えると、正月の上旬なのに60日後まで考えることを言っているようである。文祖孔安国は上日とは朔日であると言っているので意味が変わる。正義には、上日とは一年の日の上を言うと書かれている。)

 三の愚とは、できることをすぐにしないのが一の愚。他人の功を貪るのが二の愚。人がやった事を自分がやったように見せて功とするのが三の愚。

 四の惑とは、早く自分の道を見つけて、そこから学ばないのが一の惑。一の道書を見て、それを破れないのは二の惑なり。人の妻を褒めて、自分の妻を賤むのは三の惑。酒を嗜んで酔うのは四の惑。

 五の逆とは、小便を西に向かってするのが一の逆なり。北に向かってするのが二の逆。太陽に向かってするのかま三の逆。月に向かってするのが四の逆。大便しながら仰頭して、天の日月星辰を見るのは五の逆。

 六の不祥とは、夜起きて裸でうろうろし、福祉を着ないのは一の不祥。

朝起きて怒るのは二の不祥。

台所で罵詈するは三の不祥。

足を挙げて火にあたるは四の不祥。

夫婦が昼から交わるのは五の不祥。

師父に隠れて愚痴を言ったり、罵るのは六の不祥。

 七の癡とは、齋の日に香りものを食べるのは一の癡。

物を借りて結果を出せないのは二の癡。

数人に功を貸りるのは三の癡。

吉日に迷酔するは四の癡。

人と言い争い、自分から悪い言葉を発するのは五の癡。

両舌自ら誉めるのは六の癡。

父師を詐欺するのは七の癡。

八狂とは、自分の考えで経文の戒めを伝えるのが一の狂。

死で償うべき罪を犯したのに運を恨むのは二の狂。

成功したのに怨みを持つのは三の狂。

良い日に集まらないのは四の狂。

父や師を恨むのは五の狂。

経文を学んだのにそれをおざなりにするのは六の狂。

同じ志を持つものに対して悪い事を考えるのは七の狂。

嘘をついているのにそれを教えようとするのは八の狂。

鳳凰堂は一の狂を犯してますが、できるだけ原文に沿ってます笑


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