養生訓 巻第七 用薬 鳳凰堂流解釈㊶
原文を現代文に改変
棗は大なるをえらび用いてさねを去、一服に半分入用ゆべし。
つかえやすき症には去べし。
利湯には棗を用ゆべからず。
中夏の書には利湯にも方によりて棗を用ゆ。
日本の人には泥みやすし、加うべからず。加うれば藥力ぬるくなる。中満、食滞の症及び藥のつかえやすき人には棗を加うべからず。
龍眼肉もつかえやすき症には去べし。
鳳凰堂流意訳
棗は大きなものをえらびさねを取り、一服に半分入れて用いる。
つかえやすい人の場合は入れない。
利湯には棗を用いない。
中華の書には利湯にも方によっては棗を用いるが、日本人には滞りやすくなる為、加えないようにする。加えれば薬力が弱くなる。
中満、食滞の症や薬がつかえやすい人には棗を加えてはいけない。
龍眼肉もつかえやすい人の場合は入れない。
鳳凰堂流解釈
棗や龍眼肉は虚を補う生薬として使われますが、消化しにくい人にとっては支える原因にもなり、処方の効果を低減させてしまう場合もあるようです。
鍼では無闇矢鱈と経穴に施鍼して、受けた人がその場楽になっても長期的に観ると感受性の低下や五臓の虚を誘発してしまうようなものです。
この点に気づいた鍼師は、次のレベルに上がる準備ができていますが、徐々に経営・経済とは反する事になる為、覚悟が必要になってきます。