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養生訓巻第一 貝原篤信篇録 総論上 ⑲ 鳳凰堂解釈
[原文を現代文に改変]
生を養う道は、元氣を保つ事を根本とする。
元氣を保つ道には二つあり。
先ず元氣を害する物を取り去り、又元気を養う事。
元氣を害する物とは内欲と外邪である。
元氣を害するものを取り去ったら、飲食動静に心を用いて元氣を養うべし。
例えば田を作るようなものである。
まず苗を害する莠(はぐさ)を取り去った後、苗に水を注ぎ、肥料を与えて養う。
養生もまた同様。
先ず害を取り去った後、よく養うべし。
例えば邪な心を取り去って善を行うようにすべし。
このように考えれば氣を損なう事がなく、養う事を多くなる。
これが養生の要である。心して謹み行うべし。
鳳凰堂流解釈
人の元気に対して、害と養の二つに分け、その要点を述べています。
現代であれば、先ず分かりやすいこの要点を挙げるところですが、養生訓では長々とその理由を述べてから、要点を提示しています。
なぜそうするのか。
現代の論の展開は、陰陽にわけると陽の手法。いわゆるキャッチーなフレーズで人を惹きつける商法が主体で、そこで終わりです。
昔の論の展開は、今は分からなくともイメージを脳内に定着させる事が主体なので、結論は人によって微妙に違っても思考の経路は似たものとなります。
これは日本語と外国語の違いでもあり、文字の違いでもあります。